ことしのウメはこれでおしまい。
むかしは青梅の吉野梅郷(山里)のウメが3月に入ってから盛りになるので、
ウメで一杯が楽しみだったがここ数年は行ってない。
「梅で呑む茶屋もあるべし死出の山」 大高源吾の辞世の句 享年32
梅で一杯から急にこんなことを思い出した。
源吾は俳諧をたしなみ酒好きだった。
吉良邸討ち入り後、松平家にお預けお沙汰待ちとなり、切腹。
源吾を介錯した松平家の家臣宮原久太夫は武士に嫌気がさし、郷里に帰って酒屋になったという。
源吾は不思議な人だ。
父親は秋田藩主の庶子、浅野家へ入って200石取りだったのに、
源吾はわずか20石取りだったそうだ。
俳人でもあったのになぜ四拾七士に?