一昨日、白隠の達磨を見に松涛美術館に行ってみた。
うーん、いいなあ・・・言葉にならないがいい。
だんだん達磨の絵に惹かれる歳になったんだな。
松涛美術館は高齢者は入館料無料。
おまけに、雨の中ありがとうございますとお礼まで言われた。うーん、エライ!
達磨はいうまでもなく面壁九年の中国禅の始祖。
禅僧雪舟が面壁の図をユーモラスに描いているのを昨年、国立博物館の「対決 巨匠、日本の美術展」で見て、このときは雪舟の対決した雪村より優れていると感じた。
しかし、松濤美術館で見た禅僧白隠の達磨は薄墨で描かれたヌーボウとした達磨が大きなギョロメでこちらを向いている。
瞼と口の線だけが濃い墨でギリッと描かれている。
雪舟の達磨は眉毛と口元の髭だけが濃い墨で描かれていてユーモラスだが、白隠のほうは髭は薄墨だ。
瞼とへの字の口と僧衣の襟線だけが濃墨で描かれている。襟線は太く雄渾だ。
白隠の勝ち、と勝手に思った。
わたしも家庭内別居で「無言の行」を続けるようになってきた。
達磨に戻るが、ある日、弟子の慧可が達磨に聴いたという。
「師よ、こんなに修行に励んでいるのに、わたしの心は平静を得られません」。
達磨が答えた。
「それなら、その不安心という心をここに持ってきなさい」
慧可は隅々まで心というものを探したが見つけ出せなかった。
「師よ、心というものを探しましたが見つけられません」
達磨は答えた。
「こころがなければ不安心もあるまい」(おまえはもう安心したのだ(身心脱離))