明治神宮を創建することが決まったのは大正4年。創建は大正9年。
明治天皇崩御の時には、葬儀に関する法律はなかったので、国家としては威徳を偲ぶ銅像設置案などがあったそうだが、大正3年、昭憲皇太后がなくなると神社建立の機運が高まり、上記のような結果となったらしい。
費用は国税と国民の寄付金の折半が当初の構想だったが、実際は寄付金が予想以上に集まったので、国税は少なくて済んだらしい。
ちなみに時の総理大臣大隈重信の寄付金は100円だったという。
ところで神宮内縁の森(代々木の森)は、もと井伊家の領地が寄進され天皇御料地になっていたそうだが、明治時代は荒地だったという。
ここに森を造るにあたって、大隈重信は日光のような荘厳な杉の森を主張したが本多静六など植物・造園学者が大反対し、関東の地に合った「植生遷移(サクセッション)構想」で「境内林苑計画」を作成、現在のような自然林が生成されたのだという。
ずいぶんむかし、菖蒲園を見に来たことはあるが、神宮の森を森としてみたのはこれが初めてだ。
公園ではないので森らしい森になっている。
だれが何のために造ったかは別にして、大きな森や庭園や立派な建物が国民が自由に楽しめる場所になるのはいいことだ。