雨上がりの一日、濡れ落ち葉でも撮るかと思って
明治神宮に出かけたら、「五箇条のご誓文が」大鳥居の傍ににかかっていて、
へえ~っと思って読んでいたら、こんな写真が出来上がった。

「広く智識を世界に求め」 (ということでボルドー地方と友好に努め奉納された葡萄酒樽)

(こちらは伝統的な日本全国の奉納酒樽)

「旧来の陋習を破り」 (ということでいまでは神社内にレストランと休憩所がある)

(こちらは土木の神様加藤清正の横堀井戸=噴水式井戸?)

「官武一途庶民に至るまで」

「上下心を一にして」

「人心をして倦ましめず」

「広く会議を興し万機公論に決すべし」

「わが国未曾有の変革を為さんと天地神明に誓い、万民保全の道を立てんとす(御諱)」
最後の文はご誓文を発した際の勅語。
「誓文」は天皇が神に誓われた形をとっているが、「勅語」で官武一途庶民にこの趣旨を伝えている。
「勅語」に対しては、官武の「奉答書」が付属して一対になっている。
へーっ、そうなんだ。
「五箇条の誓文書」は天皇が祖先の神に誓われた言葉で、
それだけでは下々の国民には何の関係もない言葉だから、
それを「勅語」として官武に伝え、官武が畏れ奉りましたと「奉答書」を提出して、
はじめて天皇が神に誓った言葉が侵すことあたわざる言葉(ご誓文)として官武を拘束して、
日本の根本義となると言う構造だったのだ。
でも、天皇は直接、国民には伝えていないから、
国民に伝える役割は「奉答書」を天皇に提出した官武の責務だったのだ。
ふむふむ、なるほど。
天皇は「万機公論」を神に誓ったが、官武は「公論」の範囲をどう考えたのかな。
それどころか、天皇は「武」よりも「官」の方を語順からいえば「上」に置いているように思えるが、昭和の軍部はこの「五箇条のご誓文」をどのように思っていたのかな。
きょうは濡れ落ち葉は関係なくなった。