「日が暮れて夜が来る」なんてあたり前だが、つぶやいてみたら、終戦後流行っていたダイナブラザーズ(漫才コンビ)の「地球の裏に朝が来る、そのまた裏側は夜だろう」なんてナンセンスな歌を思い出した。
ところで、これは西向神社の周辺。牛込一帯は地勢的には「山の手」なんだが、現代語感では「下町」だろう。
むかし、都電13系統角筈線(新宿~抜け弁天(東大久保)~河田町~飯田橋~水天宮)には抜け弁天の手前に西向神社前(「神社前」)があったそうだ(ただしこの停留所は大正8年には廃止されているらしい)。
都電は昭和40年代半ば、モータリゼーションに押されて次々に廃線となった。
一説には全共闘が都電の敷石をはがして機動隊に投げつけるので、それが廃止に拍車をかけたとも言われる。
なんでも、敷石の剥がし役は女子学生で、投げつけるのは野球部だそうで、これが投げる石は着実に機動隊を狙い、その威力は凄まじかったそうだ。
ここからは完全に余談だが、明治時代からの都電路線開業史は東京の道路整備史でもあった。
膨張する東京の道路整備は緊急の課題だったようだが、東京市には財源が無かった。
都電(当時は市電)は料金収入で路線敷設費を償還できる。
山坂の多く道幅が狭かったかった東京市街に市電を走らせるためには、道路を拡幅して山坂をなだらかにしなければならない。
市電路線網の整備は東京の道路網の整備でもあった。
都電に興味がある人は
ここをクリックして、「路線変遷図」を見てください。東京の人口分布の変遷もよくわかる。