コザ市は戦前は越来(ごえく)村という人口7000人ほどの村だったそうだが、戦後米軍の「キャンプ・コザ」が開設されて市街地が形成され、1956年コザ市となった。米軍にコザがゴヤと誤記されゴヤと呼ばれるようになったといわれているが真偽は知らない。
占領統治下の沖縄では米兵による犯罪は非公開の軍法会議で無罪とされるケースが多く、強姦・強盗・殺人やひき逃げが多かったそうだ。これらの鬱憤が蓄積されていたところ、1970年12月、つづけて2件の米兵運転による交通事故が起こり、MPの事故処理をめぐる不満から、一挙に5000人を超える群集の暴動が発生した。群集は嘉手納基地第2ゲートに向い、一旦は武装米兵の発砲に退いたが、米兵が奥に下がると再び、撃つなら撃てと基地内になだれ込んだ。
真偽不明だが、群集は白人は襲撃したが、黒人に対してはしなかったという。米軍車両70台以上が炎上し、占領統治下の琉球警察は騒乱罪を適用したが、逮捕されたアメリカ兵相手のバーのボーイ・マネージャー5人、工員2人、無職3人の10人はいずれも証拠不十分で不起訴となったそうだ。
だが、この事件が契機となって、1972年2月10日、沖縄は「本土復帰」した。
折りしも、日本は第二次安保改定期(70年安保)を迎えていた。1960年ごろには、島民有志は「島ぐるみ闘争」と呼ばれる占領統治への抵抗運動を起こし、「復帰協」を結成していたが、一方、米軍による需要がある飲食、風俗、土建業などの従事者は、復帰反対や米軍駐留賛成運動を展開していたようだ。人間が「生活」することは複雑だ。
沖縄には「本土」復帰とは何か。「日本」復帰ではないのか。いや「琉球独立」ではないのか。まだ、議論があるようだ。
それにしても、日本本土では、マッカーサーの軍隊に一度もゲリラ抵抗もテロも起こらず、ゴヤだけで暴動が起こったことに、わたしは、日本人ってなんだろうと思っている。右翼よ、偉そうなこというんなら、お前たちはなんで占領下でゲリラ戦をやらなかったんだ。かくいうわたし(少年)も米兵にキャンデー貰って、サンキューなんていってしまっていた。