七里長浜は津軽半島の十三湖から鯵ヶ沢に至るナイフで削いだようなほぼ直線の長浜で、濛々と日本海からから吹き寄せる潮と砂の幕が津軽をイメージさせてきた。
かっての地名は車力村だったが現在はつがる市なんておよそ想像力を喚起させないものになっている。
海岸線から2~4kmは砂防樹林帯で、いまは海から4km位の所を浜に沿って「屏風山広域農道」が南北に整備され、さらに県道228号線がこの広域農道を横切って海岸間近の高山稲荷神社まで伸びているので、簡単に浜に出られるようになった。
だが、浜には何にもない。この直線の長浜は港には向かないから手付かずの状態で横たわっている。訪れる人もほとんどない。
むかしこの海を見ようとすれば、幅数キロのジャングルを潜って、砂丘に出なければならなかったようだが、人がいないのはむかしもいまも同じだ。
わたしが訪れた日、どこから乗り入れたのか一台のバギーのトレールが深く浜に刻まれていたが、この人は本当は恐くなったのではないか。片道のトレールだった。
海を臨んで浜に建つコンクリート製の鳥居は潮風に晒されてぼろぼろに欠け落ちていた。
この日は快晴微風だったが、この無人の浜に立つとなにかぞくぞくする感慨にとらわれる。冬にこの地を訪れれば、本当の姿がわかるだろう。カメラは壊れるだろう。
「晴子情歌」から
わたしの目の中で、薄青くくすんだ荒れ野はただ清々として鳴り続けていました。恋人たちにも亡霊にもきっと似合うに違いない風と草の唸りでした。
行く手の方向から低い地鳴りのような音が伝はり、潮の臭いが強くなってきます。そうしてもう忘れるくらい歩いたその先に真っ白な水煙を噴き上げる海がありました。・・・
前方の海は鈍く光りながら濱を覆うばかりの波をくりだして打ち寄せ、濱一面が飛沫とさらに細かい水煙の中にありました。眩しい白さは、まるで無数の光の点のようです。濱は色がなく、海と砂丘の間に開いた水煙の靄の廊下のやうで、一軆どこまで續いているのかわかりません。・・・
そうして突然、水煙の靄の濱にいくつかの人の姿があらわれたかと思ふと、それらの人影は少しづつ間隔をあけてゆらゆらと濱を近づいてくる行列の姿になりました。
それは網代笠と墨染めの衣と白脚絆といふ姿の人々で、右手の小さな持鈴を鳴らし、ほーお、ほーおと詠うやうに長閑で、なほ鋭い喚声を上げているのでした。
その行列の上に波しぶきの光の塊が降り、海と空から曇硝子を通したやうな光が降り続けます。
むへんぜいぐわん、むじんぜいぐわん、むりょうぜいぐわん、むじょうぜいぐわん
行きずりの子供に四弘誓願(しくせいがん)を唱えてくれた雲水たちは、そうして再び濱を遠ざかっていきました。