わが中目黒Ⅰ とり残された庶民の街
さいきんナカメなんて云われるようになったが、中目黒の発展はエビス、代官山にはるかに引き離されて、60年代の状態の上に、川沿いの居酒屋レストランや高架下のもつ焼きやがひしめいている状態だ。それも独自の発展というより代官山的勢力が押してきてのことなのだ。お世辞にも文化的な雰囲気はない。わたしは駅から徒歩三分位のところで生まれ育ち、学童は銃後の邪魔だと学童集団強制疎開に追いやられた世代だから、戦後のエビス、代官山なんて何にもないとこだったことをよく覚えている。中目黒の方がまだ目黒銀座もありにぎやかだった。いま、あらためて中目黒にいってみると、かっての友はほとんど住み着いていない。だが、小学校の同窓会は盛んだ。なにしろ、母校は喧嘩では近隣で一番強い貧乏小学校だったから同窓生の懐旧心は強いのだ。
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目黒川はサクラ祭りで有名になってきた
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サクラ祭り。このサクラは戦争中は防空壕の材料だった。
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上六児童公園。この小ささが象徴的なのだ
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高架沿いの路地の美容院
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上六の川沿いにできたカフェー
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シブヤまでよく下駄で通った道

ちょっと疲れてきたので、あしたから高村薫のイメージを求めて津軽の旅にでます。それでブログはちょっとお休み。
by aizak3 | 2006-10-10 22:29 | 中目黒/目黒川/大橋
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