旧田無宿の面影を求めて 1 田無神社
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田無用水跡を撮っているうちに、だんだん「田無宿のいま」を撮ってみることに興味がわいてきた。
それは用水の歴史をざっとでも調べざるをえなかったからだ。

用水の歴史を知ると、旧青梅街道沿いに出来上がっていった「田無宿」とはどんなとこだったのかが知りたくなり、その面影がどう現在も残っているのかが知りたくなった。


新宿追分から甲州街道から分かれる青梅街道の田無宿はかつては、新宿は別にして、青梅街道沿いでは、中野、田無、青梅以外に「まち」らしい「まち」はなかったといわれる「伝馬継ぎ立て機能を主とした宿」だが、青梅街道の開通と玉川上水の分水による田無用水路の完成で単なる伝馬駅から周辺農村への必要品供給市場へと発展していったようで、1869年(明治2年)、新宿と田無間に乗合馬車が開通し、最盛期は現在の青梅街道を横切る西武新宿線のガード下の柳沢から田無中心を経て、橋場に至る約1.5kmの商店街を形成した(下記地図参照)

しかし、青梅街道も現在では拡幅され、柳沢宿あたりはもはや田無宿の面影を残すものはない。

拡幅された青梅街道から旧青梅街道への分岐点に現在も残る「田丸や」から橋場までが現存する「田無宿」の名残りである。

それで、現在の田無宿はかつては中心であったのに、現在は田無の外れになってしまった「田無神社」から始めることにした。


★田無神社とは神社の由緒書きによれば、「創立は正応年間(建長年間説もありますが、いずれも鎌倉期、十三世紀)です。旧田無市と旧保谷市の境界が入り乱れる田無村の谷戸の宮山(現在の田無2中辺り)に鎮座し、尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)と呼ばれていた。ご祭神は龍神様(水の神様)」。
青梅街道の完成に伴い、谷戸の人々が田無宿に移ると共に、正保三年(1646年)に宮山から田無(現在の地)に分祀し、寛文十年(1670年)には、宮山に残っていた尉殿大権現の本宮そのものを田無に遷座した」となっている。
★宮司は代々賀陽済家が勤めていた。
賀陽家とはもと岡山藩医だったといわれ、田無に立ち寄ったところ、医者がいなくて困っていた田無村の名主下田半兵衛に懇願され、岡山から妻子を呼び寄せ田無村に定住したと伝えられている。ただし資料はなし。


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by aizak3 | 2013-12-30 00:01
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