知らなかったご近所
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ご近所でも駅やスーパーや学校に向う道ではないところは意外に行ったことのない見知らぬ風景があるものだ。
ましてやそこで生まれ育ったわけでもなく、したがって各処に友達もない新住民にとってはこういうことは案外フツーのことのような気がする。


この写真の場所は(旧)青梅街道の「田無宿」の西のはずれ「橋場」から、もう少し西に行った場所の風景である。


田無の明治中後期生まれの古老を大勢集めて、旧田無市の中央図書館が聞取り調査した話をまとめた本に『田無のむかしばなし』(1)(2)(3)がある。(3)には古老の話を基に、明治後期から大正初期の青梅街道に沿った田無宿の商店街の地図が復元されている。これが面白い。


この地図によると、田無宿は町役場、郵便局(電話局を兼ねていた)、警察、総持寺を中心に、青梅街道の西武新宿線のガード下(柳沢)から「橋場」まで田無宿の商店がびっしり立ち並んでいた。
(「橋場」とは、玉川上水から分水した小川用水が北側と南側の二本の田無用水を分水する場所で、青梅街道には橋が架かっていた場所である。また橋場は青梅街道、成木往還道(東京街道)、鈴木街道(立川道)の三又交差点となっている場所でもある)


江戸時代では、田無宿の「橋場」をはなれるとこの先青梅までは「人家なし」の一面の原野だったらしい。(慶安2~3年(1649~50)の「武蔵田園簿」に「田無町より青梅町迄七里三町 但、原道」「原の間六里、家なし」と書かれているように、田無宿の「橋場」より西方は小川村(現小平市)が開拓されるまでは広漠たる原野だったという)。


明治後期には甲武鉄道(中央線)が飯田町~新宿~中野~荻窪~武蔵境~立川間で開通するが、明治後期に町場らしい町場といえば、田無周辺ではここ田無宿と府中、調布、中野しかなかったといい、田無宿に市の立つ日(一、六、晦日)には周辺の村からの買い物客でごったがえしたという(「田無むかしばなし」の古老の話。自分のまちの幼少期の記憶だからすこし潤色されているかも知れない)。


写真のここは自転車でいけばすぐの場所だが、自宅からは駅のある西武池袋線のひばりが丘や西武新宿線の田無駅までの道はかなり広範囲に知っているが橋場の先は縁のない場所だったので行ったことがなかったのだ。
人間の「知ってる」「知らない」は自己の活動範囲や関心範囲を示すもので、遠近には関係のないものだとあらためて知った。
by aizak3 | 2013-12-04 12:01
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