山の中の山道のような園路からみた樹木。
フツーの回遊式庭園(大名庭園)の山道とはことなる。
ここが相馬邸だった頃にもあったかどうかは不明だが、ともかく山の天辺には見晴台があるのだが、周囲を藪に囲まれていて何も見えない。
およそ池といい、園路といい、回遊式庭園の概念とはかけ離れているが、旧相馬家はなにをかを目論んでこのような庭を造ったのだろうか。
不可解な造園思想だ。
まあ、そこがへそ曲がりにはなんとも魅力的なのだが。
大久保の韓流繁華街を通って戸山を降りて、高田馬場に出て、神田川を渡って、向かいの落合崖線の途中にこんな森の山まで仕舞ってあるとはシンジュクはエライ。高層ビルとピンク街だけじゃなかったのだ、シンジュクは。
ちなみに平将門が始祖だと自称する相馬家は全国に支家が存在するようだが、奥州(福島)相馬家は7万石ほどの中大名として明治維新まで存続して、陸奥中村藩6万石の藩主相馬誠胤は明治17年子爵に叙せられている(諸侯華族)。平安時代から明治維新まで続いた武家集団はめずらしいそうだ。
しかし新憲法により、華族令が廃止されたとき(昭和22年)に参集した華族名簿の中にはすでに相馬の名はない。