新宿の北 7
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これはなんだ?と思わず云いたくなるような池である。
自然の森の中の池ならこれはなんだ?とは云わない。


これは新宿区下落合にある区立御留め山公園内の池だから、これはなんだ?となるのである。


明治末期にかつてこの地に将軍のお狩り場であった御留め山という広大な山があり、その東半分を近衛家が、西半分を相馬家が買い取った。

相馬家はここを林泉園と称して庭園として利用、大正3年(1914)、長岡半平という人が自然を生かした回遊式庭園を築造したといわれる。
しかし、現状はおよそ回遊式庭園とは思えない自然の森(山)の中に突然空いた水溜りの大穴、竜神の池とでも云うべき感がする池なのである。


(都内の有名な池のある回遊式庭園には、大名庭園である駒込六義園、清澄庭園、小石川後楽園、新宿御苑(旧内藤新宿邸)などがあるが、池めぐりにはそれぞれ興趣に富んだ工夫がなされているが、いずれも「開かれた水辺の景観」が演出されており、御留め山公園の池のような「山(森)の中に突然空いた大穴」のような池ではない。御留め山の池にもたしかに池を巡る道はあるにはあるが、令夫人が晴れ着でしゃなりしゃなりとそぞろ歩きする池ではない。むしろ修験者が白装束でなにやらマントラを唱えながら巡るのがむしろふさわしい池である)



これが相馬屋敷の一部だったということは初めて知ったが、相馬家の始祖は平将門だという伝承がある(資料的には確定されず、その系図は後世の創作とされているようだが)。
そうだとすると、この御留め山の中で、現在も源平合戦が行われているのではないかという事にふと気付いた。


というのは、この山に食い込んでいる東山富士稲荷がじつは、平将門を討った武士源氏の始祖源経基(つねもと)が武蔵介として東国に下ったとき、延長5年に、東国の源氏の氏神として祀ったところだと伝えられているからだ。
(源 経基は、平安時代中期の皇族・武将。経基流清和源氏の初代。父は清和天皇の第6皇子貞純親王で、母は右大臣源能有の娘。皇族に籍していたとき「六孫王」と名乗ったとされる。しかし武士としての資質・器量はまだ備わらず、皇孫そのままで、将門に嘲笑されている)


新宿区落合の山の中で、いまも清和源氏と平の将門が睨みあっていて、それがこの池に不穏な空気を漂わせていたのだろうか。
因縁話のようである。
by aizak3 | 2013-06-27 16:10
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