新宿の北 3
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目白駅を横断する目白通りの一歩裏の旧落合村(後に町)は、歩いてみれば細い一方通行路に囲まれているが、ほとんどの建物が「目白」を冠称する豪邸街である。
落合の地名は妙正寺川と神田川が落ち合う低湿地帯を意味すると思われるが、目白通りはその台地の尾根を貫き、その尾根から神田川に向けて落ち込む南面した斜面(落合崖線)と台地上が、旧淀橋区のイメージと隔絶した高級住宅地帯になっているのである。

その台地の森と急峻な斜面は西武新宿線の車窓や山手線の車窓からもよく見える。


台地上の豪邸を写す気はないから撮らなかったが、その斜面下部や新目白通りに並行して走る道路沿いの風景には趣がある。


落合は画家が多く住んだところらしい。いつものことだが、これも自宅に帰ってから後で調べたことだ。
前回の当ブログに記したが落合村の開発史とそこがなぜ淀橋町・戸塚町・大久保町と合して淀橋区になったのかが目下の疑問である。


一度、新宿区の歴史資料館に行かなきゃなと思うが、新宿区という地域は地域ごとの個性が際立っていて、ますます面白くなってきた。


新宿の北というタイトルにしてしまったが、よく考えると旧淀橋区の北というタイトルの方がいいのかもしれない。

街撮りの参考にと思って、中沢新一の「アースダイバー」という本を買っておいたが、きのう中野長者と十二社のいわれ、角筈という地名は鹿の角をつけた杖を中野長者(中野本町にはいまも中野長者橋という橋がある)が仏門に入って持ち歩いていたところからついた地名という箇所を見つけた。
中野長者の屋敷はいまも山手通りからよく見える大きな達磨を描いた成願寺(工芸大の入り口付近)だ。中沢説では新宿は中野坂上→十二社→淀橋→角筈という順序で室町時代に発展したことになる。
近代では、新宿は内藤新宿起源説で語られるが、中世・縄文まで遡れば違った風景が見えてくるということ。
この話は長くなるので別の機会にする。
by aizak3 | 2013-06-22 11:33
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