王子で風景探索 7 
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★王子という地名について

王子の地名の由来は王子権現社(現王子神社)に由来する説が有力だが、一方、窪地の凹地に由来するという地形説もあるらしい。

王子権現由来説では、いつ熊野権現勧請のため若王子を勧請し社を建て、この一帯が王子と呼ばれるようになったのかが問題だが、どうも判然としないようだ。

王子神社の縁起では1322年、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、改めて「若一王子宮」と奉斉したこと、家康が1591年、朱印地二百石を寄進したこと、家光公は寛永11年(1634年)、新たに社殿を造営、林羅山に命じて縁起絵巻「若一王子縁起」三巻を作らせて当社に寄進したこと、八代吉宗公は紀州徳川家の出自で、この地に紀州ゆかりの当社があることを大いに喜び、元文2年(1737年)に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて江戸庶民遊楽の地としたことが述べられている。

熊野権現信仰は平安時代の末期に熊野十二所権現のうちの五柱である五所王子と呼ばれる神々が信仰されるようになった。王子信仰の隆盛とともに、王子信仰の社がある場所が王子の地名で呼ばれることが増え、王子の地名が全国に広がったらしい。


しかし、地名としての王子ということになると、王子権現のあるところはかつては「岸村」と呼ばれていたというから、王子権現由来説に重大な異議を呈するものだろう。

地名としての王子はいつから、この一帯を王子と呼ぶようになったのかが確定されなければならない。


そこで、王子を名乗る有名な王子稲荷がいつ創建され、いつから王子稲荷といったのだろうかと思い調べてみると、ふるくは岸稲荷と号したという(wikipedia)

王子稲荷神社の縁起でも今から 一千年の昔は「岸稲荷」と称していたと記している。

しかし、同社の縁起では、1322年に近隣の地 に領主豊島氏が、紀州の熊野神社 を勧請し王子神社を祀った処から 地名も王子と改まり、当社も王子 稲荷神社と改称されましたという。
(どうも、この説は眉唾だ)
というのも、現在の社殿は文化5年(1808)建立としている。
王子稲荷神社は稲荷社だから当然農耕や出産(人・馬とも)に深いかかわりがあり、それ以前にも何らかの社があったことも考えられるが、社殿建立の500年も前から、王子権現の建立と同時に地名が一挙に王子に改まったとは考えにくい。


石神井川(音無し川)の縁にある「岸村」のある凹地(おほじ)という地形説も捨て難いように思える。
by aizak3 | 2013-03-29 11:49
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