はる
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3・11東北大震災がまもなく3年目を迎える。
わたしがこの日を忘れ得ないのは、母の死と重なるからだ。
母はあの大震災の丁度少し前に緊急入院していて、原発事故報道が続く最中に東京の病院で死んだのだけど、あの大震災の当日には、一人で心細げに病院にいる母を見舞ってやることはついに出来なかった。
交通機関の途絶、停電中の市街、交通信号も消えた超渋滞の道路、暗い沿道を歩く帰宅困難者の群れ、コンビニの空っぽの食料飲料棚。
しばらくしてなくなった母の葬儀も東京の火葬場の停電の影響で超渋滞となっていたのだった。

母の死に重なるささやかな体験が、東北を自分の目で確かめたいという思いに駆り立て、半年後の現状を見に行かせたのだが、半年後のただ野積みのままの瓦礫の山を見て呆然とした。

3年目のいま、まだガレキ処理の目途が立ってるとはいえなそうだ。
地震列島で想定外ではなくて起きたツナミ対策と原発事故による放射線除去という未曾有の課題の前で、従来型の経済社会の復興しか考えられない政治家(自治体を含む)は、復興ビジョンを示せず、「選挙民」を前にただ空虚な執行不能な「復興予算」の空積みを重ねている。

そんななかで、住民自らによる復興への動きもわずかながら報じられるようになったが、3・11は従来型経済社会に対する「文明の転換」を迫っているのだ。
プレート型大地震の影響を受けない大陸国家と地震列島日本を同視して論じることは出来ない。
いや、日本こそ「美しい日本」にホントーのビジョンが盛られるなら「世界で最新の文明国」に向っていけるチャンスなのだろう。無論農業のあり方を含めての話だから、政治家だけの話ではなく、全国民みずからの話なのだ。

「円安」になった、「株価」が上がった、というだけで、「政治は結果です」なんてことしかいえないのに、人気を博して原発に依存している政治家の「世界ビジョン」、「日本ビジョン」のその虚妄性も暴露できないなら、「公明党」を含めてもう日本の政党は全部ダメだ。「維新」なんて、なにが「維新」だ。

東北を含めて「20年後の日本」位の国民生活ビジョンを示せない政党には、「もう投票しませんという国民運動」なんてどうだろう。
ひとりひとりが「思想」や「プラン」を示せなくても、常識と思い込まされている従来体制への「ノー」は言うことは出来る。それが「国民運動」になれば、ただ補助金の仕組みに精通しているだけで「政策通」なんていう「無思想」の政治家が国民を牛耳る体制を根本から改めることが出来るかもしれない。
日本型民主主義に対する一種の「宗教改革者」が出てくるかもしれない。
by aizak3 | 2013-03-10 09:14
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