田無駅駅前広場は小さくて可愛い広場
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田無駅はご覧の通り、新宿郊外の小さくて小さい駅だ。
旧宿場のあった旧青梅街道は、駅からちょっと離れたところを西武新宿線と並行して走っている。
つまり、線路は旧市街地を避けたのだ。

西武線は近郊農村に肥料として運ばれる糞尿の輸送鉄道としても使われ、田無駅には糞尿を方面別貨車に仕分けるための糞尿ホッパーがあったという。(東急玉川線は「砂利電」と呼ばれ、多摩川の砂利を都心に運び、帰りは用賀方面の農村に糞尿を運搬するので車体が染まって黄色くなったといわれた。西武線も糞尿のために「茶色」になったといわれた)


田無(たなしと読む、たむと読んではいけない)とはどんなところと、詳しく知りたい人には、「アンサイクロペデリア」(エンサイクロペディアのお笑い版)の「西東京市」をお勧めしておく。


田無は江戸時代以来、青梅から石灰を江戸に運ぶ青梅街道の宿場町であったが、石灰は南部鉄道(現JR南武線)や甲武鉄道(現JR中央線)が開通すると、青梅からの石灰(この時代にはコンクリートの材料になっていた)は、それらの鉄道を利用して専用貨車で運送されるようになり、青梅街道は北多摩の青物を新宿の青物市場(いまの淀橋市場)にを輸送する主要道にかわったようだ。

ところで田無はそもそも地名の発祥の由来からして判然としない。
水が逃げて田圃が出来ないから田無となったという説が一般的だが、田圃がないということでは北多摩全体がおおむね田無しの農地しかないので、そんな事情は田無に限ったこっとではない。


田無を囲む隣の小平市も田圃はないが小平であり、田無といまは合併した保谷も田圃がないが保谷なのである。


宿場であった田無はむしろ田圃がないことを開き直ってウリにしたとしか思えない。


田無は明治初年から「田無町」(江戸時代は「田無宿」幕末は「町」)であったが、それは青梅から江戸城や江戸在府の大名、商人の塗り壁に使用する石灰石の運搬ルート上の宿場駅(寝泊り、休息、水補給、馬換えの駅)であったからで、地名は「村」より格上のようでいて、実際は、宿(しゅく)の経営自体が厳しい上に、たとえば「高井戸宿」がある事態のために、人足荷馬が不足になれば、田無宿の人馬はもとより農民、農馬まで支援に借り出されるなどして、農民は生業に支障を生じ、困窮を極めたようだ。


「町」という格は、「村」より格上を意識させることで苛斂誅求の実際を鎮める政策上の呼称に過ぎなかったのが実情のようだ。


ところで、田無は戦後に人口増はしたものの、大きなベッドタウンには成長せず、小都市のまま現在に至ったので、新宿まで25分にもかかわらず、いまもってこじんまりしたいい都市なのだ。


田無を取り囲む地域の保谷市と行政効率性向上のために、「平成の大合併」で合併して「西東京市」という、どこにあるのだかわからない市名に変更してしまったが、いっそ「田保市」でもよかったのではと思っている。(「たほ」か「たほう」か、なんと読むのか読み方が難しいが、)

国立(くにたち)市は立川市と国分寺市の中間に新しく誕生した市なので立川の立と国分寺の国をとって「国立」とした先例だってあるのだ。


東京で、「西多摩」とは青梅方面をいい、一方、八王子は「南多摩」といわれるが、「西東京バス」があるので。「西東京」というと一般的には八王子の方かと錯覚する人も多い。
田無はいい町なのに、「西東京市」という市名だけは何年経ってもしっくりしないのだ。


その原因の根幹は市名に「東京」なんて名称を使ったことにあることにほかならない。
わしゃ恥ずかしい。
旧田無市よ、保谷との合併を解消して早く「田無市」に戻れ。
「市」なんて小さい方がいいに決まっている。
保谷市が大きくなりたいなら、練馬区に合併してもらうなり、東久留米市と合併するがいい。
by aizak3 | 2013-02-16 14:10
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