地図を見ると駅前に大きな神明社があるのでいってみた。
由緒によると、建久年間(1190~1198年)には土豪横井某が伊勢神宮に参拝した際に、神の霊示を受けて、霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられる。(この霊石は今も御神体として祀られている)
この神社は寛政12年(1800年)に著された『江戸名所図絵』に登場するらしく、それによると、日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、後に尊の武功を慕った村人が旧社地(お伊勢の森と称される現在の阿佐谷北5丁目一帯)に一社を設けたのが始まりとされている。
つまり、この二つの「由緒」と「絵図」の説明文が語ることは、まず神代の世にヤマトタケルが休息した地であるという言い伝えを後の世の人(いつの時代か不明だ、少なくとも1190年代以前ということになる)が奇異なこととして、ヤマトタケルを祀るために一社を建てたということと、建久年間(1190年ごろ)に阿佐ヶ谷の土豪が伊勢神宮にお参りして(この時代に阿佐ヶ谷の一介の土豪が伊勢参りしたということも眉唾だが)、「霊石」を持ち帰ってきて、そのとき「すでにあった」「神明宮」に安置したということである。
ではこの神明社のご祭神は、ヤマトタケルと「霊石」かというとさにあらず。
主祭神を天照大神とし、月読命・須佐之男命が配祀されているらしい。
日本武尊は祀られていない。ああ、哀れなりヤマトタケルよ。
でも、そんなことどうでもいいか。
もともと神社の種類と系列はぐちゃぐちゃで系統だった解説はない。
江戸時代盛んになった国学による古事記研究では、日本の神様は対の構造になっていたといたという。その構造とは夫婦神で「くに造り」したイザナギ・イザナミに始まり、お産で火傷を負って黄泉の国に往ったイザナミは黄泉の支配者、黄泉の国の妻イザナギの姿をみて恐れて地上に逃げ戻ったイザナギが地上の支配者、アマテラス(太陽)が昼の支配者、月読みが夜の支配者、須佐之男が地上の支配者、国譲りしてその代償に大殿を建てさせた大国主が黄泉の支配者という対の構造である。
夜の世界や死語の世界を考えなくなったのが現代だという説を読んだことがあるが忘れた。
江戸時代から庶民の信仰が篤く、その一端を示す「内藤新宿仲下旅籠中仲下茶屋中」の文字が刻まれた文政十一年(1828年)の銅製の三本御幣が奉納されているというから、内藤新宿の旅籠と茶屋の連中のちょっと郊外へのハイキング地だったのか。目黒のお不動さんや堀の内のお祖師様のように落語には出てこないが。。