上野1丁目を歩いているうちに、いつのまにか神田五軒町(現外神田6丁目)になった。
区界も路地が境界じゃどこまでが上野1丁目で、どこからが外神田かなんて歩いていてわからない。
結局は新住居表示による町名整理も区界変更が出来なかったからこうなったのだ。
旧神田五軒町(現外神田6丁目)とは江戸期に,この地に五つの大名屋敷があったことに由来するそうだ。
(上総久留里藩上屋敷、下野黒羽藩上屋敷、安房勝山藩上屋敷(雅楽頭の分家)、播磨林田藩上屋敷、信濃上田藩下屋敷)
維新後はいずれも政府に没収され「桑茶政策」で桑や茶畑になったが、やがて明治30年代には寄席や天麩羅屋で賑わうようになったという。
この地の地名は明治5年は神田五軒町、明治44年は五軒町(東京市神田区)、昭和22年は神田五軒町(麹町区と神田区が合併して千代田区となったので「神田」の冠称が復活した)、昭和39年新住居表示の実施で外神田6丁目となり、現在に至る。
練成中学(現3331千代田アーツ)も旧五軒町(現外神田6丁目)である。
廃校になった練成中学は、3331 Arts Chiyoda に生まれ変わった。
3331とは「トジメ」の拍子のことだそうだが、それはともかく、3331の強烈なHPをみてもらいたい。「
ここ」をクリック。
これで見る限り、JRの白の殿堂「2k540」より「りっぱ級」だ。
こんな近くに、3331があるとJRの「白の殿堂」2k540の運命やいかにと思ってしまう。
★「外神田」とは神田川(江戸城の外堀の一部)を境に神田川の北側をさす新住居表示による新町名。むかしは外神田なんて云わず、神田川の北側にもそれぞれの町名があった。五軒町の南は末広町。東側は亀住町。元佐久間町。栄町。この方が「外神田〇丁目」より人間が住んでいる感じがするなー。

この地図はgooの地図だ。
いままで、地図といえばgoogleの地図ばかり使っていて、gooの地図には「古地図」を見る機能があるのに気付かなかった!