ここがどこだか判りますか?
御徒町駅からずっと南の蔵前通り付近のJR高架の脇の上野5丁目です。
御徒町の続きの通りなのに、こっちはガラガラでした。
上野というと上野公園(もと寛永寺寺領)を含む上の駅周辺を考えるでしょうが、上野公園は「上野公園」という町名で、不忍池の周りは「池之端」という町名で、「上野」という町名は、東側は昭和通まで、西側はほぼ中央通まで、南側は蔵前通りまでのJR線路沿いの南北に細長い小さな町名なのです(現在の住居表示上による。御徒町駅は現行表示では上野5丁目にあり、御徒町という町名はない。旧御徒町は現表示では台東1~4丁目。上野ではない)。
しかも、上野広小路は文京区湯島に食い込まれてデコボコしています。
台東区境としては東側では神田川の柳橋まであるのですが、西側では神田川を越えて外神田(旧神田末広町、千代田区)が蔵前通りまで食い込んでいます。
上の地図は、http://www.maroon.dti.ne.jp/~satton/map/index.htmlからお借りしました。
上記の人の「台東区の境がなぜぐちゃぐちゃジグザクしているのか」の解説を「more」に引用しておきます。こういうふうに、原因とそれを取り巻く環境条件(まさに仏教で言う「因縁」)を簡潔に説明してくれる人に敬意を表します。
《台東区の形と区境》
台東区はハート型をしていて、大まかにいうと浅草と上野の2つの繁華街を中心に町が発展してきた。
しかし、この2つの繁華街は微妙に性格が違う。浅草が民衆の寺、浅草寺で町民の町なら上野は官の寺、寛永寺で大名屋敷や下級武士(御徒士)が多く住んでいた。隅田川沿いの自然堤防の上の道が浅草の始まりであり、武蔵野上野台地の崖の下の道(山下)が上野の始まりである。
台東区と他区との区境は、東は隅田川で明瞭だが、他はややこしいい。
まず、北は荒川区とは明治通りが区境となっているが、この明治通りはかつて地方橋場(南千住の一部で江戸町方の支配外)と台東区の橋場の間を「二番用水路」が流れていた。
この用水路の上に出来たのが明治通りである。
三ノ輪付近で区境が荒川区側にせり出したり、区境がくねくねしているが、これは今は暗渠になってしまった音無川の流路だからである。江戸時代にはこの川を境に都市と農村、市街地と田園というふうに明瞭に区別されていた。
台東区の西境となるとさらに複雑である。台東区と文京区がお互いに出っぱったり、乗り込んできたりしている。
豊島区の染井墓地から流れてきた藍染川は上野台と本郷台によって形成されている谷間を流れて不忍池に注いでいた。
この流路が文京区との区境となった。この川は今は暗渠となり「よみせ通り」「へび道」と呼ばれる狭い道になっている。
池之端付近では台東区と文京区が互いに突き出ているが、これは根津神社の氏子圏と台東区の寺院圏の関係によるものである。
台東区の南境では、千代田区と神田川が区境をなしているが、これも単純ではなくジグザグに定められている。
単純に神田川を区境にしなかったのは、神田明神の氏子圏と下谷神社の氏子圏とによって分けられたためだ。
神田明神はもともとは大手町の将門の首塚の所にあったのが、市街地の発展で現在の神田川の北に移されたものである。元来台東区の区域にあったところに神田の人々が進出してきて「外神田」を形成したのだ。