白昼なら見過ごすだろうこんな場所を異な場所だと感じる心の動きは、逢魔が時とも呼ばれる一日の終わりの薄闇がすべてを神秘的に見せているからだろうか。
それとも太古以来、人類が脳に刻み込んできた暗がり(危険)への恐怖が死の恐怖と結びついて、死の国を連想させたのだろうか。
人の死は、ただ炭酸カルシュウムが残るだけと何度も体験していても、生きている人間の脳の方が暗闇を恐れ、死にまつわる何かを考えさせるのだ。
ただし、日本人であれば、そこは岩山の頂や砂漠の真ん中ではなく、多分森に囲まれた場所でなくてはならないだろう。
神宮外苑の一隅ともとても思えぬこの奇妙な風景は、自分になぜ足を止めさせ、こんな場所を撮らせることになったのかを自分で考えてみることにさせた。
端的にいえば、自分がもうはやく炭酸カルシュウムに還元されたがっているだけなのかな。