日原 崖の上の小さな畑のある風景
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日原集落で一番広い平地はいまは廃校になった旧日原小学校の敷地である。
学校だから運動場も体育館もある。教室がいまは集会所に保健室が診療所になっていることは前に紹介した。ここ以外にこんな広い平地はない。もったいない気がするが、多分いざという時の防災拠点なのだろう。畑には出来ないのだ。


山に囲まれていると日当たりのいい場所は限られる。

大きな段差のある段々畑のような集落だが、日当たりのいいところを畑にすれば、人の住むところは僅かしかなくなる。
だから、日原には畑はないものと思っていたのに、小さいながらこの畑を発見したときは意外な感じがした。


しかし全員が畑を持っている農村ではない。

観光案内書によれば、日原の主たる産業は、白箸と木履物(下駄の甲)と炭だったようだ。
とくに白箸は江戸期には盛んだったようだが、日原街道が出来たのは昭和26年のことといわれ、それまでは牛車も通れない急峻な道を背負子で人の背に背負われて、氷川(いまの奥多摩駅)まで一日に二往復、三往復しなければならなかったという。

それでも観光案内書は江戸期は日原村の暮らしは豊かだったというが、どういう仕組みでなのかは書かれていない。


ついでながら、奥多摩が良質な木材を産したことは初回の「more」でも紹介したが、日原川は氷川で多摩川に合流し下流の鳩ノ巣までは丸太は一本流しできて、鳩ノ巣にある貯木場に集められた、という説明が奥多摩観光協会の「大多摩ウォーキングトレイル・ガイドマップに書いてあった。

ということは日原渓谷はもとより、多摩川でも鳩ノ巣上流では岩の露出した渓流が厳しくて筏が組めなかったということだろう。鳩ノ巣下流でも多摩川渓谷は御岳渓谷など筏流しにはなかなか厳しい渓谷が続いている。
by aizak3 | 2012-11-01 11:45
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