神門と社殿
社務所脇の巨木
巡拝路内の一社
巡拝路の鳥居
社殿の下部
写真とは関係ないが、
東伏見稲荷(西東京市)が、ご本家伏見稲荷の協力を受けて関東の分祀社として創建されたのは昭和2年。
戦前は神社はすべて「社格」が付けれていたが、ご本家の伏見稲荷神社が単立の官幣大社であったのに対し、東伏見稲荷に社格は与えられなかった(社格外神社、民間神社)。
その規模も稲荷山を抱くご本家伏見稲荷の比ではないが、現在の都内の稲荷社の規模としては、大きい方である。
都内の稲荷神社としては、赤坂の豊川稲荷、王子の王子稲荷が有名だが、いずれも市街地内なので、絶対的な規模は大きくはない。明治期では東京飛行場(現羽田国際空港)が出来るまでの羽田(当時は郊外地)の穴守稲荷が一番大きかったのではないか?。
江戸市中は、「伊勢屋、いなりと犬の糞」と言われるほど稲荷の数は多く、いまもほとんどが何らかの形で保存されているが、都内で社殿奥に巡拝路を持つ稲荷社というのは、ここ、東伏見稲荷以外にはないのではないか。
そのかわり、東伏見稲荷はその周りに、一軒の茶店もない。遊興施設ゼロの純宗教施設だ。
おっと、「東伏見ホテル」という緑色と赤で装飾された看板が青梅街道に見えるが、ビジネスホテルかラブホかは知らない。(まさか安産祈願の特別ホテルではあるまい)