雨の中でのロケハンもこれでお終い。帰る頃には晴れてきた。
出てきた時は晴、着いたら雨、帰りには晴とは皮肉。
とりあえず撮ってきてから、後で調べるのは私の場合毎度のこと。
二、三枚目もなにげなく撮ったが、保文社というのは多分和文タイプやワープロ普及以前に会社の重要文書をきちんと印刷保存するために中小企業からの需要に応える業種だったのではないだろうか。
いまでは企業情報の迅速な提供が仕事のようだ。
保文社の隣の種谷製作所の看板には、神具仏具貫鍵修理と書いてあるが、調べてみたらいまは「宮惣」という屋号の有名なお神輿・鳳輦の製造・修理さんだった。
種谷吉次は、神田明神の本社神輿はじめ多数のお神輿製作をし、平成2年には黄綬褒章を受賞した。
種谷製作所と宮惣はもともとは別で、「宮惣」は文政8年ごろから山車の製作に取り込み、初代が惣三郎というので三代まで惣三郎を襲名し、それで製作した山車には「宮惣」と記銘したらしい。
種谷はお神輿製作修理業で、黄綬褒章を受賞した二代目種谷吉次までは「宮惣」ではなかったが、三代目の種谷吉雄が、「六世 宮惣」となった。(以上種谷製作所のHPによる) それで、いまでは製作した神輿にも「宮惣」と製作者銘を入れるらしい。
種谷は初代種谷から「位牌」も多数製作してきたというが、この辺りの寺院の数の多さを考えると全部が種谷ではないにしても、相当な数だろう。神輿・鳳輦は滅多に需要はないだろうが、神具・仏具・位牌の需要は絶えることはないだろう。
変なことを詳しく調べてしまったが、まあ、この町のおよその職業はわかってきた。
それがどうしたというところだが、それがわたしには面白いのだ。
「町の肖像」を撮るにはたぶん参考になるだろう。