土曜日、お天気がいいので出かけることにしたが、どこに行けばよいのかわからない。
クルマを走らせながらあちこち考えているうちに銀座に来てしまった。
そのときようやく、明石町の隣の湊に行ってみようと思った。
初めての町ではない。しかし聖路加のある明石町や築地ほど歩き回った町ほどではない。
それもこれも昭和48年から50年(1973-1975年)までのことだから、バカといわれるほど古い記憶だ。
そのころは、湊は印刷関係の零細業者や製本、包装業者の多い町だった。
ただ町の魚屋さんの刺身がべらぼうに高かったことを不思議に覚えている。
築地に近いのでこの町の魚屋のマグロは質のいいものしか扱っていなかったようだ。
ついでだが、そのころはまだ、マグロの中落ちなんかいまみたいに店頭の商品にはなっていなかったので、築地市場に行くとタダみたいに安かったことも思い出した。
中落ちといってもいまみたいにスプーンで引っ掻いてグジャグジャに捏ねられた代物ではなく、些か薄く、その上細長いが、まあ册といえば柵で、斜めに切れば刺身がなんとか出来という代物だったが、それでも職場でやる際の一杯には、何しろタダ同然だったので重宝したことも思い出した。
ところで、三枚目の、奥に見える超高層マンションは、隅田川を渡ったもと漁師町の佃島に出来たリバーシティーというマンション街だ。
佃がマンション化したのだから、湊町でも当然マンション化は進行していた。
湊町は明石町、入舟町と新大橋通りと隅田川に囲まれた町だ。
湊の地名は、入船川という川があって、隅田川から上がる廻船がここで、荷上げしたから。
別名で鉄砲洲と呼ばれたのは、鉄砲の試射場があったからといわれる。
対岸の佃に行く人は多いが、こっち側の湊を歩く人は少ない。