神田駅前はいつも悲しげだ。
いつも重そうな鞄を肩に掛けた営業マンが行き交う。
神田から日本橋を渡ると、行き交う人の様相がはっきり変わる。
やりきれない。
それなのに生粋の江戸っ子を指す慣用句は「芝で生まれて神田で育つ」だ。
この言葉は意味不明だ。いや、イミシンだ。
お江戸の中心は日本橋に決まってるのに、江戸っ子はなんで漁師町の「芝」で生まれて、職人町の「神田」で育たなきゃいけないんだ。
ぐぐっていたら、面白い小唄を見つけた。
芝で生まれて 神田で育ち いまじゃ アノ 纏(まとい)持ち
(纏もちになること程度がサイコーの憧れだった自称「江戸っ子」への皮肉か)
いくら咲いても お江戸の花は 火事と喧嘩で アノ 身はならぬ
(火事と喧嘩は江戸の花のもじりだろうがビンボーから脱却できない身だ)
芝で生まれて そのまま育ち 今じゃ やっぱり アノ 芝に居る
(こりゃあ、もうどうにもならぬ)
こりゃあ、芸者に唄わせて酒呑んでいる旦那衆が自称「江戸っ子」連中を揶揄する座敷唄だろう。
いや、身上持ちの旦那衆が自分を卑下しておどけてみせた唄か。
聞かれもしないのに自分から「江戸っ子でぃ」なんて吹聴する輩は、森の石松みたいなヤツで(虎蔵の浪曲「森の石松三十石舟道中」では、「江戸っ子だってねー。すし食いねー」といわれて、「芝」じゃなくて「神田の生まれよ」と応答している)、ホンモノの「江戸っ子」は自分から「江戸っ子でぃ」なんていわない。その所作で、見る人から、ああ粋だねぇ、江戸っ子だねぇといわれる人のことだ。というのが『東京知ったかぶり』氏の説。
つまり、氏によるとホンモノの「江戸っ子」とは、日本橋魚河岸の大旦那や蔵前の札差(米問屋)、木場の大旦那(紀伊国屋文左衛門)のような上流町人にしか出来ない「粋」と、(粋と意地の)「張り」を本領とする暮らしが出来る人のことだったのが、幕末になると、熊さん、ハッつあんまでが「江戸っ子」になって、「宵越しのカネはもたねぇ」なんてもともと無いのに言い出したんだそうだ。
悲しい話というか、差別的な話でもある。
「江戸っ子でぇぃ」がやせ我慢だったとしても、神田祭なんかに行くと、いかにも「江戸っ子」風のきりっとした好々爺を見かけることがある。
どこから来たんだろう? 「神田」ってどこのこと?という疑問はまだ残る。