日本橋大伝馬町界隈 7
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大伝馬町に隣接する日本橋富沢町にさしかかると、ハリオグラスの看板を掲げたこのクラシックな建物が目に飛び込んできた。

古びてやけに立派な建物なので、気になって調べてみると、東京川崎財閥(川崎銀行・第百銀行・第百生命・日本火災など)傘下の「川崎貯蓄銀行」が昭和7年に建てた富沢町支店だった。

川崎財閥は八大財閥の一つに数えられたが、三井・三菱・住友などが多方面に事業を展開したのに対し、「金融財閥」ともいわれるそうだ。
(なお、「東京川崎財閥」は、川崎重工・川崎造船・川崎車両などを傘下に持つ「神戸川崎財閥」とは無関係。)



この建物の設計者は矢部又吉で、川崎銀行の設計を各地で行っている。
現在、国の登録有形文化財に指定されているそうだ。
この建物各部の詳細は↓
www.youtube.com/watch?v=h57wUELtHpc
または
http://maskweb.jp/b_harioglass_1_0.html


「川崎銀行」「川崎貯蓄銀行」が現在どうなったかについては、銀行の統合の歴史についての簡単な略図が下記にある↓
http://www.ffortune.net/social/money/bank/bank-togo.htm



川崎財閥の始祖、川崎八右衛門は代々続く水戸の廻船問屋だったが、幕末、財政難の水戸藩で「鋳銭」を上申して成功。御用商人から、150石取りまで出世した。(「川崎定徳株式会社」ホームページから引用。以下同じ)

1875年(明治7年)東京に進出し「川崎組(為替取扱業)」を設立。警視庁の為替御用達、茨城、千葉、静岡の為替方を勤め、成功した。

1876年安田善次郎らと共に東京・日本橋小舟町に第三国立銀行(外国為替銀行)を開業。この国立銀行は認可期限が3年だったので、その後民間の第百銀行を設立。

1881年(明治13年東京・日本橋檜物町(現在の三菱UFJ信託銀行日本橋営業部の地)に単独で川崎銀行を設立。
この川崎銀行を中核企業として、保険、貿易、鉱業などに進出。八大財閥に数えられるまでになった。




おととい、運輸・為替・情報伝達・商人集積地としての大伝馬町の由来を調べたが、日本橋本町や大伝馬町に隣接する日本橋本町や小舟町、富沢町に川崎銀行(第百銀行、現在は三菱銀行が吸収)を設立するのはなーるほどという気がする。

いまでも日本橋から神田にかけては全国の地方銀行が数多く散らばっている。

消費の中心地は「銀座」に移っても、金融と中小商社・問屋の中心地は日本橋、神田一帯なんだな。



なお、ハリオグラスは耐熱ガラスの先進会社。自動車のヘッドランプのガラスや高級ガラス製ポット、ガラス製鍋蓋などを製造・販売している。
by aizak3 | 2012-04-08 10:33
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