昨日までは御苑沿いの道路の一本裏通りの道路の風景だったが、今日からは新宿通り北側の1丁目の風景だ。
新宿はどこまで行っても飲食店が尽きないで、その数の多さには呆れるばかりだが、飲食店街を避けて、道路・街路を主体に街並みを写してみようとすると、かなり難しい街だ。
だが、道路区画はしっかりしていて、各地の規模もビル用地に適した大きさで、そこが路地の風情を主体とすしてイメージされるいわゆる「下町風情」と異なるところだろう。
この道路区画が、新宿1丁目(旧花園)の歴史の古さと風格を示している(と勝手に思う)
現在の「新住居表示」では、何がなんだかわからない。
★現在の街区は昭和27年の戦災復興区画整理で出来上がったものらしい。
★宿場町としてのいわゆる「内藤新宿」は現町名では、新宿2丁目。御苑は内藤家(信州高遠の藩主(幕末まで)の領地。内藤町という町名は御苑西側にいまも残る。
★江戸の「下町」という概念は、本来は「山手」に対する地理的概念で、神田・日本橋・下谷・入谷・根岸・などみんなそうだが、いつのまにか「武家地」と「町屋」という身分による住み分け概念が混入して混乱しだした。江東区は現在の漠然とした「下町」概念では「下町」に属するのだろうが、その発達した運河網、とりわけ小名木川は物流の動脈だったので、小名木川沿いは大名の下屋敷で埋まっていた。(その跡地がやがて工場地帯になった)。
ようするに、現在漠然としたイメージで使用される「下町」は、単なる差別用語でしかない。