みち・道路・路地
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最近、気づかずに道路とか路地とか「みち」を主役にしている写真が多くなったような気がする。
まわりの建物とか通行人とかは、いわば「みち」を飾る道具だ。


『王たちの肖像』『ぺるそな』など、特異な人物のポートレイトで人間存在の本質を抉る鬼海弘雄は、『東京迷路』では人を排して、建物自身が語る「建物のポートレイト」を撮ろうと思ったといい、『東京夢譚』では、生活の歴史を刻んだ「場所の肖像」のようなものを撮れないかと、撮り続けていると書いている。


真似をしようとしても鬼海さんのように、ストイックに「まち」(わたしの場合は「道」)を追求するわけには行かないが、考えてみれば「みち」を主役にした作品は、写真でも絵画でも過去に数多い。

それらは見る人に数多くのイメージを与える「みち」なのだが、わたしの場合は独りよがりの「みち」だ。

やっぱり鬼海さんのように「まぐろ漁船」に乗らなきゃ無理か。


しかも東京で人を排除した道を撮るというのは、三脚据えて減光フィルターつけて長時間撮影でもしなければ到底無理だな。

(と思っていたら、驚くべきことにフォトショップCS5では画面上の人を瞬時に消し去る新機能を付加と宣伝している。こんな機能があれば人がいなくなるのを待つこともないし、イメージする人が来なければ、サンプル写真から取り込んで貼り付ければいいわけだ。イメージ自由自在!!残された問題は自分自身のイメージがいいかどうかだけだ!!)
by aizak3 | 2011-12-25 13:37
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