ラブホテル・ニューヨーク。せっかくここまで歩いてきたのに、屋上の大きな「自由の女神」が消えていた。閉店したのか。
モツ焼き食ってから、ぶらぶら歩きしたのも、この「自由の女神」を見るためだったのに、それが突然、「ない」とわかると、驚きと同時に、一瞬ここは違う場所ではないかという疑いが起こり、やがてそれが間違いない事実とわかると、なぜか喪失感を感じた。
灯のともっていないホテルがあって、シンボルの自由の女神がないという喪失感は、同時になにかこの場への懐かしさを呼び起こした。
べつにこのホテルを利用したことがあるわけでもないただの待ち歩き散歩人なのに不思議だ。
高田馬場駅のプラットホームから見えていた力道山とマリリン・モンローがぐるぐる回るプロレスごっこの質屋の屋上広告が消えたときもそんな感じが湧き上がったのを思い出す。
喪失したものの残された片鱗を見るとき、懐かしさという感慨は沸いてくるのだろうか。
全部が消失してまえば、むかし、そこにはこれがあったはずだ、という場所への記憶は残っても、もはや「懐かしさ」という感情はは湧いてこないだろう。
懐かしさとは失われたもののいまある片鱗への感情なんだな、多分。