直接の関係はまったくないが、三枚目から以下の句を連想した。
提灯(ちょうちん)のやうな鬼灯(ほおづき)谷に生え 虚子
河童の(が)岡へ上がる夕暮れ 漱石
(提灯のような赤いおばけ鬼灯が谷に生えたよ)
(うん、河童も水辺を離れて岡の上に上がってきたぞ。逢魔が時(宵)だからな)
子規が「文学」にあらずと否定した連句を、おもしろければ、それでいいじゃんと肯定した虚子と漱石が、
明治37年に、漱石の発句により編んだ連句の第五句、第六句が上の句なんだそうだ。
全句はこんな具合。
無人島の天子とならば涼しかろ 漱石 (この世の拗ね者も無人島の天子なら煩いなし)
独り裸で据え風呂を焚く 同 (ああ、涼しい)
いずくより流れ寄りけんうつろ船 虚子 (大変だ、浮世から無人船が流れ着いたぞ)
大き過ぎたる靴の片足 漱石 (しかし大き過ぎの役立たずの靴が片方しかなかった。心に支障なし)
提灯(ちょうちん)のやうな鬼灯谷に生え 虚子 (といっても異変が起きてるぞ。ほら)
河童の(が)岡へ上がる夕暮れ 漱石 (うん、河童が水から出て岡の上に上がってる)
★「うつろ船」とは、常盤国鹿島灘に流れ着いたという伝説の舟。
眉と髪の毛が赤く、顔は桃色の女が一人乗っていたという。滝沢馬琴が怪奇談として流布したとされる。
「うつろ舟」がこの話の舟だとすると、こんなものが流れ着いてはもはや「無人島の天子」も涼しい心境ではなくなるが、
単なる無人船としても浮世の残骸がいっぱいあれば、せっかく無人島に住んだ天子の心は乱れるだろう。
使い物にならない大きすぎたる靴の片足だからよかった。(大き過ぎたのは提灯のような鬼灯(虚子の無人島の天子・漱石への脅し)の方だったのかな)
http://www.mapple.net/tw_column/0939.html
★この連句の出典の種明かし
足の具合が悪くて病院へ行った。待たされるので、売店で買った半藤一利『漱石俳句探偵帖』に載っていた話です。( )内はわたしの蛇足。間違っているかも。
ところで、この写真が、巨大な鬼灯が生えたり、河童が岡に上がったりする街には到底見えないのが残念。