松島湾を形づくる南端に出っ張った七ヶ浜町内の吉田浜という場所の被災光景です。
七ヶ浜という地名(町の名)はおそらく浜が七つあるところから由来していると思いますが、小さいながら風光明媚な浜でした。
わたしが東北被災地の旅に急に思い立って出かけたのも、七ヶ浜でもまだ被災の跡が生々しいという記事を見たからでした。
ただ、七ヶ浜というのは岬全体の町名なので、浜に出るには、広域カーナビでひたすら海を目指すしかありません。吉田浜もたまたまであった浜で、その地名はここでたまたま出会った東北大ヨット部の学生から教えてもらってはじめて知りました。
一枚目はツナミで吹き飛ばされた防潮堤。鉄筋はほとんどなくなんだか無筋状態に見えますが、防波堤というのはこんなものが普通なのでしょうか。この光景には驚きました。
右に見えるテトラポットは被災後に応急処理で積み上げられたものでしょう。
(その後、専門家に訊ねたら、防潮堤というのは重みで「波」に耐えるものなので普通鉄筋は入れていないもののようです。つまり、もともとツナミ=海壁に耐えるものではないとのことです。田老のツナミ防潮堤は別ですが。。)
二枚目は見たとおり。
三枚目は吹き飛んだ護岸。ただのコンクリートで鉄筋は入っているようには見えない。
四枚目も同じ。
五枚目は堤防内側のヨット溜の護岸の被災状況。
六枚目は吉田浜から見た隣の小さな浜(小さな海水浴場)。ツナミで流されてきたコンテナが半年後も打ち上げられたままになっている。遠い風景なのでこの写真だけE-1にNikonのズームを付けて撮りました。
この地図を見れば、松島には津波の被害が軽減されたのがわかるだろう。
それでも、津波は「波」ではなく、海が盛り上がった連続した「海の高さ」だから、塩竈には大きな被害をもたらしたのだ。
七ヶ浜は、その津波を食い止める「松島湾の門」の一廓ともいうべき地位か。
ほとんどが断崖の出島だから被害は比較的軽微で済んだのと思われるが、南方の浜が軽微な被害で済んだ最大の理由はおそらく津波が襲ってくる方位と微妙にずれていたことだろう。