船着場から湾沿いに外洋方向に向って、水産物加工場が広がっていたらしい。
この地帯は、一面のガレキと化していた。
重機とダンプがガレキの仮集積場で動いているのみの無人地帯と化していた。
(地盤も水没しているので普通車では奥までは入れない)
これが半年後のいまの風景なのだ。
ガレキの本格的な処理処分・最終埋立てがあってはじめて復旧・復興があるのだとすると、
それは地方の一自治体の能力をはるかに超える長期間にわたる難事業だと思える。
国会で自公と民主が政局を争っている場合ではない。
9月20日河北新報の奉ずるところによれば、ようやく気仙沼市の震災復興計画案がまとまったらしい。
湾岸に防潮堤を張巡らす案は反対が多くて実現しないらしい。
今回のツナミによる浸水地域の土地利用規制と建築部規制をどうするかが焦点になるらしい。
詳細は「more」に転載した
気仙沼市復興計画案 9月20日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/20110920t11022.htm
「気仙沼市震災復興会議」資料 9月19日
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1316429827551/index.html