変わってきたなー、なんかつまんなくなったなーと自分の写真を眺めながら、
つい有楽町の身になって「有楽町の立場」ということを考えてしまった。
というのも、至近距離に有名店がひしめく「銀座有名店
帝国」が控え、一方背後には、丸ビルから連なる「三菱オフィスビル
連合」がビル内にも高級レストランやらブランド店を抱えて一線を画しているので、「有楽町」という街は、このJR線路際の細長くほんの狭い
領土しかなく、もともと映画街であり、新聞街であり、都庁というプアーな大集団とその来庁者に「粗衣粗食」を提供する「繁華街」だったのではないかということに気づいたからだ。
新聞社がいなくなり、日劇がなくなったのは昔のことだが、残っていた最大のお得意さんだったプアーな大集団の都庁は移転し、都庁デパートという異名もあったそごうも閉店すると、「有楽町」の新規顧客は跡地に出来た国際フォーラムという会議場よりむしろイベント会場に集まってくる若い人やビッグカメラのお客さんしかない。
有楽町はどうするのか?
そんなこたー、おまえさんが心配することじゃねー。余計なお世話だと一喝されそうだが、有楽町の呑み屋街が変わってきたのはそんなことが原因じゃないかなとつい考えてしまうのだ。
汚ならしい伝統的(歴史的)店構えじゃ、むかしを知らない若い人は入らない。
少しキレイな一般的な店構えに改装し、フォーラムやビッグカメラに来る若い人に「都心の穴場」として面白がってもらおうというのが有楽町の生き残り戦術らしい。
こういう作戦が成功するかどうかわからないが、いまのところ、駅前空地だらけという池袋西口現象や韓国街に大変身という大久保現象は有楽町では起こっていない。
しかし、しばらく行かないと激変していたということになるかも知れない。
(有楽町らしかった駅前の風景を一変させてしまったのは、つい最近完成した「イトシア」ビルの出現だろう)