この光景にわたしは彼岸浄土を感じたが、仏教上の浄土はその発祥国(祇園国)からいっても、
花々が咲き競う温涼の地であるようで、このように枯野の果ての凍てついたイメージの地ではないようだ。
それなのに、秘境の山中の桃源郷に浄土をイメージすることが出来ないのはなぜなのだろうか。
淨い=冷たいという観念がわたしに刷り込まれているからだろうか。
ついでながら、この池はなぜか三宝(寺)池という。
「三宝」とは仏教で「仏」「法(真理に至る道)」「僧(修行を積んだ導師)」をいう。
この池の裏山の向こうに三宝寺という真言宗の寺があるが、山はもと後北条氏の出城で、池は三宝寺の所領ではない。