


湿地帯の江戸に家康が入府して以来、江戸城築城や運河(掘)、河川の付け替え改修など大土木工事の基礎杭には、腐りにくい松丸太を大量に使用したことだろう。
明治の初期、日比谷(丸の内)がまだ葦原の湿地帯だった頃、岩崎(三菱)が払い下げを受けて、三菱レンガ街を建設したときも、東京駅から新橋まで市中の道路とぶつからないようにレンガ造りの高架鉄道としたときも、軟弱地盤に大量の松丸太杭を使ったという(東京の「国鉄」は原則的に高架鉄道)。
明治東京の都心は松丸太で出来た都市だったようだ。
明治5年、銀座が大火で焼失した後、銀座近代化のために大蔵省(営繕)の直営工事で「銀座レンガ街」が完成したとき、街路樹に選ばれたのはなぜか松と桜だった(絵が残っている)
現在の皇居前広場がいつから、なぜ、松原公園になったのかは知らない。
ローマのアッピア街道の松は、背の高い黒い松で、松ボックリが巨大だった。
日本の松とはまったく印象が違うものだった。