田無耕地 農地内の都市計画道路 2
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新都市計画道路はこの事業告知板の建っている所から向こう側の森を突っ切って、新青梅街道に出る予定。
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この小屋の辺りを突っ切るのではないか。
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お地蔵さんは懸かるか懸からないかぎりぎりの位置にある。
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お地蔵さんの後ろには新青梅街道に出られる細い抜け道がある。
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これは地元で滝山街道と呼ぶ新青梅街道と並行する古い街道。信号がほとんどなく、交通量も多くないので新青梅街道の抜け道になっている。新都市計画道路は当面ここまでで終わりだろう。



余談だが、都内には世田谷でも練馬でもまだ沢山の農地がある。

でも都内は奥多摩の山岳地帯を除けば、全て「都市計画区域」なので、都市計画法の定めによって都市施設(道路など)が計画決定されている。
しかし、現状はほとんど手付かずで「計画」は実施されておらず、一体いつ実施することになるのかほとんどの住民が知らないのである。
「計画」が着手されていないところは当然、農地であったり、家屋が建っていたりする。


東京でも旧市街(旧東京市内)を除けば、そのほとんどは終戦直後は農地であり、マッカーサーによって小作人に農地解放された農地だったところである。


ますます余談になるが、この農地解放というのは、日本の封建制度(その頂点を天皇制とGHQは考えていた)打破のための革命戦略だったから、有無を言わせず徹底して行われた。


そんな中で、公共用地でも資金不足で未整備(空地)であったため、終戦後の食糧難の中で付近住民に事実上耕作されていた事実上の農地は、農地解放の対象となった(小金井公園用地、神代公園用地、用賀の環状8号線用地など。有名なのは日比谷公園の松本楼付近の「農地解放騒ぎ」で、日比谷公園内は食糧難のサラリーマンが勝手に昼飯用の芋畑に転用していたため、GHQに小作農地と誤認された騒ぎである。小金井公園用地や神代公園用地は実際に「解放」されてしまった)


むかしの登記所には「土地台帳」という土地登記簿とは別の本来は課税上の基礎台帳があって、それには農地解放の過程が一筆ごとに記されていた。
それによると、世田谷辺りの「開放農地」はほとんど一坪一円五十銭の10年賦払いだった。それでも買い手の側からは払えないという不満の声が上がったそうだ。
しかしやがて宅地転用して切り売りした旧小作人は、みんなお大尽になり、旧地主の怨嗟の的となった(地主だって切り売りして儲けただろうがね)。


つまり、都内では(いや全国的に都市内ではとういうべきだろう)農地解放が農業によらず農民を超資産家にしたのである。
ところで、いまも都内で屋敷林を構え営農を続けている人は、小作ではなく旧地主だった人の末裔が多いのではないだろうか??

とりとめもなく脱線してしまったが、純農業地帯での現在の農業や都市内の「農業」の問題とは無関係な話だということは分かっています。
by aizak3 | 2010-10-11 11:49 | ご近所
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