大井町私景 2
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駅前の線路際からゼ-ムス坂に出る狭い路地3本に立ち並ぶ居酒屋街(東口商店会振興会)は新宿の焼き鳥横丁みたいな居酒屋街で昭和の雰囲気を色濃く残している。




そこで例によって大井町の成り立ちをちょっと調べてみた(『東京知ったかぶり』による)

なにしろ品川も大井も盛んになったのは鎌倉時代というから古い町なんだ。

「鎌倉時代幕府の御家人大井氏(清和源氏武田氏族)・品河氏(桓武平氏三浦氏族)が大井・品川の地頭になって定住、開発が進められた」

「南北朝時代には伊勢を始め各地から商船が入港する品川湊が賑わった」

だが、これが「大井」「品川」の地名の由来とはされていない(地名の由来には諸説あり決定的なものはないようだ)。

「室町時代に入ると武士や商人が寄進した寺院が軒を連ねる街が作られ(ということは脱税のための寺社領が拡大し)、人と物資が行き交う武蔵国の表玄関としての地位を獲得した」

「このころ大田道灌が江戸に狙いを据えて品川北の山に拠ったところが「御殿山」。やがて道灌は江戸氏の江戸城に入城を果たしたが、上杉定正に謀殺された」

「江戸時代の品川は、東海道の最初の宿場として栄えていった。
 品川宿は、海に面した宿場で、風光明媚、魚介類が豊富、飯盛り女を置くことが許されていたので四季折々に江戸市中から多くの男が訪れた。なんといっても江戸から二里の近さ、酒はうまいし姐ちゃんは綺麗だ、花魁みたいに肩がこらない、男どもは何かと理由をつけて足繁く通った」

「明治になると品川・大井は京浜工業地帯の発祥地として発展していくが、「品川宿」は文明を拒絶したため凋落していき、今では地方の一商店街に過ぎなくなった。」
 


そうか、そうだったんですかぁ~。下町というと上野、浅草、向島ばかりに目が行ってますが、東海道を忘れちゃいけないんですよね。落語にも「品川心中」ってーのがありましたよねー。
by aizak3 | 2010-07-23 11:49 | 東京下町
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