写真ブログにはタイトルを英語や独逸語や仏蘭西語など外国語で表記する人が多いな。
日本語の表記法を離れることで、日本語の持つ伝統的なイメージを離れ、なにか抽象的な写真の特質を表現しようとしているのだろうか。
そうだとすると、たとえば英語で表記した場合、その単語あるいはフレーズが日常語である限り、英語圏で使われる伝統的なイメージから逃れることは出来ないだろうし、逆に、その単語あるいはフレーズの持つニュアンスを知らない日本人には伝わらないことになると思うのだが、、、
伝統的な日本語の表記法は、世界でもまれな、ひらがな、カタカナ、漢字の使い分けによる独自の雰囲気表出法だが、まれに日本語にはないか、まだこなれていない外国語の多義的な意味や語法をを表すときには原語をカタカナで表記することがある。
それでは写真作家は不満なのか。不満だとしたら、どこが、どう不満なのか?
(余談だがカタカナ語が氾濫するのは翻訳学者の不勉強だからだと思うが、役所が使うのが一番罪が多い。役所がその概念がどうしても使いたいのなら翻訳して使え。それが国民への義務じゃないか)
れっきとした写真家のアラーキーなんかはじつに造語の達人だな。
きょうの日経の小池 光のコラムからの思いつきだが、動物園で、動物名のプレートのカタカナ表記を止めて、「虎」「獅子」「麒麟」「河馬」「象」とか書いてあると動物園じゃなくて「曲馬団」の雰囲気だが、「狒狒(ヒヒ)」「蛇」「蜥蜴」などになると「化物屋敷」の雰囲気になる。
英語じゃなくたって日本語の三文字選択・組合せ表記法はかなり自由に言いたいことを伝えられると思うのだが・・・