今日は神田明神の例大祭だというニュースを聞いて急遽撮影に。
神田明神のご祭神は恵比寿様、大黒様、平将門の三神。非常にユニークな明神様なのだ。

将門は大手町に首塚があるから境内に将門像はない。これは将門保存会の神輿に彫られた将門像

社務所で将門様のお祀りされている場所はどこですかと聞くと、本殿内だけですとのことだった。本殿に赴くと将門を祀る竜神の舞が丁度奉納されるところだった。

本殿の横

以下は本殿横(神田山)から下界の外神田2丁目を覗いた写真
神田とは、本来は神社の祭祀などの運営経費にあてる領田(寺社領)のこと。
神田には租税免除の特権が認められていた(これを不輸租田という)ため、有力神社には開発領主などが免祖特権を得るため、新田(墾田)の寄進を行い、有力神社には神田が集中したらしい。
なぜ競って寄進したかといえば、神田は氏子が耕作し、氏子経費は6割とされ、残り4割の上がりのうち、神社の取り分(神租)は2割で、氏子の取り分が2割だった。神田になれば租税負担が公租公課より実質上ずっと安上がりだったようだ。
ところで、江戸の地名としての「神田」とは、開幕以前は武蔵国豊島郡江戸郷柴崎(大手町1丁目9番=神田橋の東南角の辺り)村にあった伊勢神宮の御田代田を神田といい、明神社の一円が神田と俗称されたらしい。
家康の江戸入府以後、内堀が築かれその内側は幕府領となったので、「神田明神社」は駿河台に移され、その後さらに現在地(湯島台)に移されて「神田明神」と呼ばれ、ついに家康によって江戸総鎮守となった。
江戸幕府の守護神とは、神田明神と寛永寺(徳川菩提寺、管主は歴代宮様)と日光東照宮(権現様=家康)だが、神田明神の祭神は驚くべきことに朝廷の対抗勢力だった恵比寿様と大黒様と平将門の三神なのだ。
つまり、もともとは伊勢神宮の神田であった江戸の明神社が、家康入府以後いつのまにか朝廷対抗勢力を祭神とすることになったのだ。
神田明神の祭神は、浅草寺の観音様(漁師が大川で網で掬ったもの)なんかとわけが違うのだ。
しかも天皇が江戸・東京にうつると、驚くべきことに明治天皇は神田明神におまいりしている。
(律令制の下で天皇が任命した国司の横暴・私利私欲のための苛烈誅求・人民の疲弊餓死に抗して経世済民のために立ち上がった将門を晒し首にした天皇は、関東(江戸)に遷都して、身近になった将門の祟りを強く恐れたのだろう。多分、荒魂鎮撫の儀式を行ったのではないか)
神田明神祭では、いまでも丸の内・大手町の神輿が真っ先に行く先は将門の首塚で、神輿を出しますと報告するのである。
さて、神田山とは昔の湯島台地一体を指すらしい。神田明神の氏子はJRの駅名で言うと秋葉原・神田・東京・日本橋・御茶ノ水・水道橋の一帯だ。