大手濠に架かる平河門の橋

平川門


門を潜ると右手に平川濠あり、これに沿ってまた橋

橋を渡ると左手は天神濠

また門

左に曲がりながら進むと突き当たり

本丸のある広大な敷地の土台をなす石垣

本丸敷地の石垣に沿って進むと汐見坂にでる。これを昇り右折、左折するとようやく本丸敷地となる。

北拮橋門から入ると本丸までは直ぐだが、平川門から入ると濠沿いに何度も曲げられ三重の門を潜らされる。
その理由は、平川門は外界と接する内堀の門だが、北拮橋門はじつはじかに外界に接する門ではなく、平川濠の北に広大な北の丸があり、北の丸は九段の田安門でのみ外界と接しているからだ。
江戸城は何重もの濠で取り巻かれた城だったことが判るが、この城を根城に戦をしたことは一度もない。
それどころか町人が起こした明暦の大火(振袖火事)では天守閣は飛び火で焼け落ち、明治維新では、大村益次郎が大砲をぶっ放すぞというので、勝・西郷会談で無血開城してしまった。
何のための城かということになってしまうが、参勤交代と相次ぐ築城工事で、諸大名の軍事・財政力を奪うのが目的だったらしいから、それでよかったのだろう。
鉄砲と刀槍による戦を前提に造られた城は大砲が出現すると役立たなかったわけだ。
それにしても江戸城は財力を尽くした大土木工事だったことが良くわかる。