ソ連時代、中国との国境を接するカザフスタン共和国セミパラチンスクで1948年以来、450回を越す核実験が繰り返され、
そのうち、23回は地上実験だった。
いま、世界の科学者が注目しているのは、黒い雨による間接被爆であり、人体に取り込まれた放射性物質が自らの身体を被爆させる内部被爆の実体である。
核兵器は悪魔の兵器としかいい得ない実体が明らかになってきた。
(ついでながら中国の核実験場もカザフスタンと国境を接するウイグル自治区のロプノール(あのヘディンのさまよえる湖で有名なロプノール湖のあるところ)である.ソ連、中国とも互いに国境接する国の中心地から離れた辺境の地である同一地域で核実験を繰り返したことになる)




爆心から100km以上離れていまも被爆し続けるドロン村 核実験回数は450回以上






セミパラチンスクの実験場では爆心地から100kmは立ち入り禁止地域に指定されたが、ソ連が注目していたのは核戦争に備えて、「黒い雨」(放射性物質を含んだ雨)による人体影響(間接被爆)を調査することだった。
そのためには、核爆発の地上実験が必要となり、強風が吹き黒い雨を降らせる雲が広域に流れる気象条件があえて選ばれた。
黒い雨は爆心から100km以上離れた農村ドロン村(実験場境界からは50km)に降り、広島の直接被爆者の2倍にもなる死亡率の間接放射能汚染を引起した。
雨は土壌にしみこみ、地下水を汚染し、井戸を使用しているひとびとの人体に吸収された。放射能を含んだ地上の草は遊牧のウマに食われ、生活に欠かせない馬乳が農民の人体に取り込まれた。
ソ連崩壊によって現地立ち入りが可能となったセミパラチンクスをいま世界中の科学者が注目しているのは、セミパラチンスクにはこの影響を調査するためにソ連当局によって「第4診療所」が建設され、ここに「癌」や白血病で死亡した膨大な患者のデータが保存されているからである。
ソ連は100km以上離れた地域には核実験の影響は及ばないとして、これらの患者を風土病としてきた。しかし、比較研究のため黒い雨が降らなかった地域の農民の健康診断データも収集している。



各国の調査団

100km圏とドロン村



放射能減衰曲線


セミパラリンスク第4診療の膨大な患者データ






がんによる死亡率は直接被爆の広島の2倍

対照地区 カイナール村は気象条件から黒い雨、死の灰の影響を殆ど受けていない。
しかし、現場に立ち入り可能となった近年の研究(広島の科学者など)により驚くべき事実が明かされるようになった。
それは核実験停止から20年経ったいまも、いまだに「染色体異常」を引起している患者が見つかることだ。
染色体異常を起こした細胞は増殖できないので、普通、3年位で死滅する。それが今も見つかるということは、核実験が停止された現在でも、黒い雨による地下水汚染、土壌汚染が食物連鎖により人体に取り込まれ、人体自身が内部から放射線を放出し続けて、自らの人体の染色体異常をいまも引き起こしている(内部被爆)という事実である。
じつは黒い雨の危険性は、1945年7月16日にアメリカ合衆国がマンハッタン計画で人類史上初めて行った核実験(トリニティ実験)で、すでに調査されていた。トリニティ実験は、長崎に投下したファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型原子爆弾(ガジェット)をニューメキシコ州アラモゴードにある実験場で炸裂させたものだが、このときすでにアメリカは残留放射線による人体被害を予想し極秘裏に健康診断を実施していたのである。


ちぎれて間違った接続をする

渦巻状のものやちぎれたままのものもある
広島には占領後、ただちに米国の調査団が乗り込んだ。
生き残った広島市民の原爆症の症状と市民の健康診断、対照として原爆の影響がない呉市民の健康診断を実施した。
日本の原爆症の認定基準は2008年4月から改定されたが(新基準)、いまだに爆心地の3.5km圏内で直接被爆したか、原爆投下後100時間以内に2km以内に立ち入ったか、または投下後2ヶ月以内に2km以内に立ち入り1週間以上滞在したかの縛りがある!!(この被爆圏域の狭さ!!)
さらには広範囲に黒い雨が降り、間接被爆があって、それを取り込んだ人体被害はまったく考慮されていない!!
これは占領下の米軍の結論にいまだ従ったものなのだ。
黒い雨の影響を認めることは世界に恐慌を引起すだろうし、占領期はもとより、その後の冷戦体制下でも、その後の核開発・核実験に影響を与えただろう。
米ソの核戦略も成立しなくなったかもしれない。
なにしろ、中国が核攻撃を受ければ黄砂の飛んでくる日本は核攻撃を受けたも同様の事態になるし、イギリスが攻撃されれば、フランスが被害を受けるのだから。
いま、わが国でようやく注目されているのは爆心から16km 離れた湯来村(現広島市佐伯区湯来町)に降った黒い雨で原爆症に苦しむ人々(認定基準外地域に住む人々)の存在である。






核兵器は悪魔の兵器としかいいえない実体が明らかにされつつある。
ソ連が崩壊したとき、カザフスタンは核兵器を保有し続けてくれとアラブ諸国からの要請を受けたそうだ。
しかし大統領は決然と断った。
カザフスタンは核兵器を保有しない。核兵器を使用しない、と。
「more」に爆心から湯来町までの地図あり。また、世界の核実験場の一覧あり。

爆心からやく16kmの湯来町に黒い雨が降った
参考 世界の核実験場
アメリカ
1945年以来主としてネヴァダ核実験場で行われた。他には太平洋上、水中、大気圏内、大気圏外実験がある。 部分的核拡散防止条約後(1964年以後)はネヴァダの地下実験に切り替え。回数はネヴァダだけでも928回。
ソ連
1948年以後、主としてカザフスタンのセミパラチンクス核実験場で行われた。実験場周辺に50kmはなれたドロン村、カイナール村、サルジャール村がある。
ソ連は少なくとも1949年から1990年にかけて715回の核実験を行なっている[1]。
主にセミパラチンスク核実験場とノヴァヤゼムリャで実験を行なった。最後の核実験は1990年10月24日。 正確な情報は未公開。セミパラチンクスの核実験は450回以上とも報道されている。
イギリス
1952年以来、オーストラリアのモンテ・ベロ島、同エミュー平原、マラリンガ、キリスィマスィ島、マルデン 島 (水爆実験 )で行われた。45回。最後の実験は91年、ネヴァダ実験場で行われた。
フランス
1960年から1996年にかけて210回の実験を行なっている。
60年、61年はアルジェリアで、以後はフランス領ポリネシアで、最後の実験は96年ファンガタウファ環礁(フ ランス領ポリネシア)
中華人民共和国
新疆ウイグル自治区ロプノールで、45回の核実験を行なっている。
うち23回が大気圏内、22回が地下核実験である。
最初の核実験は1964年10月16日であり、1967年6月17日には水爆実験が行われている。
1980年10月16日に最後の大気圏内核実験が行われ、1996年7月29日に最後の地下核実験が行われた。
だが、実験規模や実験場の範囲、汚染状況など公式発表されたデータはほとんどない。
大気圏内核実験はロプノールの北西約100km、地下核実験はロプノールの北西約220kmの地域で行なわれた(ロプノールの湖床が実験場となったことはない)[3]
1964年以来、ロプノール湖は核実験場として使われた。
1996年までに核実験が45回に渡り実施された。
それらのうち1980年までに行なわれた核実験は、地下核実験ではなく地上で爆発させた。
そのため、物理学者高田純は新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)の広い範囲の土地が放射能で汚染され、 現地に住む人間も被害を受けたと主張している[2]。
ウイグル人医師のアニワル・トフティは、ウイグル人の悪性腫瘍の発生率が他の地域に住む漢民族と比べて35 %も高く、漢民族であっても新疆ウイグル自治区に30年以上住んでいるものは、悪性腫瘍の発生率がウイグル 人と同じであるとことを明らかにしている[3]。
インド
インドは1974年と1998年の二度に渡り核実験を行なっている。
(1974年):5月18日実施。1回の爆発。コードネームはSmiling Buddha(微笑むブッダ)ラジャスタン州の砂漠にあるポカラン試験場であり、材料のプルトニュームはウラン型原子炉から再生された。
(1998年):5月11日と13日に実施。5回の爆発。ラジャスタン州の砂漠にあるポカラン試験場であり、全ては地下で行われた。パキスタンに対抗するための弾道ミサイル搭載型の小型爆弾と爆撃機・戦闘機に搭載可能な小型爆弾の開発を目的とした実験。
パキスタンは
1998年に核実験を行なっている。チャガイ地区の山
パキスタンの核実験 (1998年):5月28日と30日に実施。6回の爆発。弾道ミサイルに搭載できる小型核爆弾
北朝鮮
2006年、2009年に核実験を行なっている。
2006年10月9日10時35分(KST)、北朝鮮は地下核実験を実施。爆発による地震波の測定から、 咸鏡北道吉州郡 豊渓里で実施したとみられている。1回の爆発。
2009年5月25日午前9時54分頃(KST)、咸鏡北道吉州郡豊渓里付近で震度4.5前後の地震が観測された[1]。韓 国気象庁によるとM4.5で震源地は北緯41.28度、東経129.13度[2]で前回の核実験地とほぼ同じ位置だった[3]。
イスラエル
アメリカ合衆国の早期警戒衛星ヴェラは1979年9月22日にインド洋上で閃光と電磁パルスを観測 した。
これは南アフリカとイスラエルによる核実験との推測が有力となっている。