昨日は広島の日。終戦のいきさつをあらためて整理してみた。
上の写真とはまったく無関係なので、掲載はやめようかと思ったが、自分のブログなので記載しておくことにした。
ウラン爆弾を投下するに先立って、アメリカ国内でひそかに放射能障害の人体実験を行っていたことや、原爆の威力や人体への影響を調査するために、あらかじめ広島は爆撃せず、原爆投下まで無傷で残しておいたこと、人体への影響を調査するため、広島市民と原爆の影響がない呉市民の健康調査を実施したことを知った。
終戦の歴史 Wikipedia
1945年6月23日 沖縄戦終結(組織的な日本軍の抵抗終結)
6月30日 米軍沖縄征服
7月 2日 米軍沖縄戦終結宣言
7月26日 連合軍ポツダム宣言(日本の無条件降伏要求)。日本無視。ソ連に和平斡旋依頼
8月 6日 広島へ原子爆弾(ウラン爆弾)投下
8月 8日 ソ連対日宣戦布告
8月 9日 長崎へ原子爆弾(プルトニューム爆弾)投下
8月11日 国体護持を条件にポツダム宣言受託を連合国に打電(東郷外相主張、天皇同意、阿南陸相反対
8月12日 連合国より返電「降伏のときより天皇および日本国政府の国家統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に 置かるるものとす」。
この条項を巡って再び抗戦派がこれでは国体の維持ができないと反発、再び紛糾。
しかし紛糾している内に連合国は14日、日本に通知した内容を明記したビラを飛行機から撒いた。
慌てた政府は再び天皇のご意見をお伺いしたいと連絡、14日10時再度の御前議。
(この部分は→http://www.ffortune.net/social/history/nihon-mei/syusen.htm )
8月14日 御前会議で天皇、ポツダム宣言の受託を決断 終戦の詔勅発す 連合国にポツダム宣言受託を通知
夜熊谷市空襲、75%焼失
8月15日 正午「玉音放送」 国民および陸海軍にポツダム宣言受託と降伏決定がつえられる。
前日に公布した「大東亜戦争終結の詔書」を天皇肉声のレコード(玉音)で放送される。
8月16日 日本軍部隊への正式な停戦命令を行う。
大陸や北方では、中国・ソ連との戦闘は続く。ソ連北方四島に上陸作戦。日本軍守備隊と戦闘。
9月 2日 米軍艦ミズーリ号上で降伏文書に調印(法律上の終戦)。政府代表重光葵、大本営代表梅津美治郎(代表は政府・軍とも責任者が逃げ回りなかなか決まらなかった)
9月 7日 沖縄軍(南西諸島守備軍)代表、米軍第10軍司令部(嘉手納)で降伏調印。
9月 9日 支那派遣軍岡村寧次司令官、中国国民政府と降伏文書に調印
1952年4月28日 サンフランシスコ講和条約締結
終戦特集・太平洋戦争関係年表(写真付き) 時事ドットコム →http://www.jiji.com/jc/v?p=vs_end-of-pacific-war00
その他 終戦前後2年間の新聞切り抜き帳 →http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/50nen10.html