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西新宿の青梅街道筋 18


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小滝橋交差点(北側)
これで青梅街道を終りにする。


思っても見なかったことだが、来週、緊急入院することになった。
死出の旅が近づいた。


ということで写真ブログはしばらく休止します。
by aizak3 | 2014-02-08 12:31
西新宿の青梅街道筋 17
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小滝橋通りに近づくと古い雑居ビルも残っている。
これなんか再開発された成子付近と比べると、いかにも柏木だ。

このビルのちょっと隣には青梅街道に面して小さな八百屋さんが夫婦二人でやっていた。
結構繁盛しているみたいだ。
by aizak3 | 2014-02-08 12:19
西新宿の青梅街道筋 16
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小滝橋通り一歩手前の脇道。この通りは大型ビル化している。
by aizak3 | 2014-02-08 11:44
西新宿の青梅街道筋 15
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いよいよ新宿北口の小滝橋交差点に近づいてきた。
青梅街道の南側を見ると、交差点角の一画が工事塀で囲われている。
古いビルを壊して、新しい大型ビルを建てるらしい。
こちらは西新宿1丁目だ。
この写真の裏側あたりにはヤキトリ(もつ焼き)のボルガがある。
by aizak3 | 2014-02-07 12:07
西新宿の青梅街道筋 13
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修行堂を覗いてみるとオートドアになっていて、いきなり扉が開いた。
驚いたが、堂内を見渡すと坊主が一人で読経に励んでいた。


青梅街道に面して建つ歴史の古い、かなり大きく立派な構えの日蓮宗の寺だ。
日蓮宗もかなり多くの宗派に分かれるが、常円寺が何派なのかは知らない。
青梅街道に面した案内にには、一人墓をご希望の方もご相談に応じます。どうぞご遠慮なく。と書いてあった。


池上本門寺でも木柱に「家族墓より一人墓へ」と大書してあったのを思い出した。
そういう時代なんだな。
と同時に、寺の経営も檀家経営だけではやっていけない時代なんだろう。


この写真は山門を潜って、墓地入り口から墓地と尾滝橋通りに並ぶビル群の背面を撮ったもの。
墓地には「有名人」の墓もあるらしい。
by aizak3 | 2014-02-06 10:59
西新宿の青梅街道筋 12
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さらに新宿駅に近づくと青梅街道に面して大きな空地(現在駐車場)があった。
新宿駅周辺は古い小型ビルが建っていたところだが、成子周辺の超高層ビルに刺激されて大型ビル化を企図しているのだろう。
by aizak3 | 2014-02-04 12:28
西新宿の青梅街道筋 3
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新宿アイランドビルから成子天神方面の眺めである。
青梅街道はほぼ真西に向って走っている。だから、午後を過ぎれば片側は暗くなる。


ところで、日本で多用されるアイランド(island)とは「(島のように孤立して)周囲とは異なる空間」「周囲から際立って自己主張している空間」「並じゃない空間」というニュアンスの言葉らしい。

これが700年英国の支配と闘っている「愛蘭土」(アイルランド、ケルト人の島)という意味のニュアンスで使われるのだったなら凄いのにね。
そんなわけないさ。人集めの呼称なんだから。
by aizak3 | 2014-01-22 12:40
江戸東京下町の代表的地名としての「深川」発祥の地探訪 1
北極振動による異常な熱暑の続く中、気を取り戻して、江戸・東京以来の下町の代表的地名の「深川」発祥の地を探訪してみた。

去年も「猛暑」だった気がするが、昨年の自分のブログを見てみると、それなりに「外」に出ている。
ことしは6月末くらいから続く「長期熱波」で身体の耐用限界を超えているのか?外を歩く気がしない。

まあ、そんなことより「深川」中の「深川」、深川発祥の地はここだった。


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江東区森下1丁目の深川神明宮には「ふかがわ」という地名の由来を示す大きな碑が建っている。


碑文によれば、徳川家康の入府以前に、深川八郎右衛門という人とその一族が、このあたり一面の葦原を開拓してこの神明宮を建て住していたが、家康が入府巡視の折(幕府か帷幕以前の豊臣時代のことだ)、八郎右衛門にここはなんというところだと訊ねたところ、八郎衛門はいまだ住む人も少なく地名はございませんと答えたので、ならばお前の姓を地名とせよと命じたので、この地は「深川」となり、この神明宮が深川発祥の地となったのであると書いてある。


八郎右衛門は姓を持つ地侍だったのだろうか。碑文には四百余年前のことだと書いてあるだけで、なんだかわかったようでわからない地名発祥の由来と神社発祥の由来だが、「深川」という地名は明治11年の東京府下15区制、東京市の35区制を経て戦後の東京都23区制の発足まで、ずっと「深川区」という「区名」になって残った。


深川が人の姓名から発した地名だというなら、内藤新宿(内藤は高遠藩主)を上回る大きな地名になったわけだ。



さて、ここから歩いてすぐそばの「芭蕉稲荷」に、元禄時代の「芭蕉庵」があったそうで、その跡地は後に武家屋敷となったので「芭蕉庵」は消滅したが、大正の関東大震災の津波に洗われた跡地から、芭蕉の愛好した石像の蛙が発見されたので、有志により「芭蕉稲荷社」が建立された(常盤1丁目地内)。


しかし、同所が狭隘であるので、そこより北方の地に旧跡を移し新たに建設されたのが江東区立「芭蕉記念館」(常盤1丁目地内)なのだそうだ。

したがって、本来の芭蕉庵があった芭蕉稲荷には現在さしたるものはないが、蛙の置石は多数あるとのこと。


今日UPした写真からはちょっと外れるが、この地では松尾芭蕉が「芭蕉庵」に居を構え、ここから「奥の細道」に旅立ったことが自慢なのだから、ここで脱線して芭蕉の出立までの経緯について触れておくことは仕方だない。


一般的には芭蕉は元禄2年(1689年)5月16日、芭蕉庵(現「芭蕉稲荷」)の地から東北みちのくの旅「奥の細道」に旅立つたように語られることが多いが、実際は紀行文序文にあるように、出発に当たって居をまず芭蕉庵(現芭蕉稲荷)から一時、仙台掘りの畔にあった弟子(スポンサー)の杉山杉風の「採荼庵」に移して「多病心もとなしと弥生末つ方まで引とゞめ」られて一月あまりを過ごしたのち、同所から旅立ったのである。


芭蕉庵を出て人に譲るに当たっては「はるけき旅の空思ひやるにも、いさゝかも心にさはらんものむつかしければ、日比住ける庵を相知れる人(杉風のこと)に譲りて出でぬ。この人なむ、妻を具し、娘・孫など持てる人なりければ、

「草の戸も住かはる世や雛の家」(杉風には孫がいるのでわたしが譲り渡した後では雛祭りをするだろう)と詠んで「ほそみち」第一句(ただし序文中)とし、(つまり自身の「わびさび」の境地を強調して)

(旧暦弥生七日)仙台掘りから舟で隅田川を千住まで出て、見送り人と別れ、「千じゅう(千住)と云う所にて船をあがれば前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに離別の泪をそそぐ」とはやくも泪したことを記し
  

「行春や鳥啼魚の目は泪」 を矢立初の句とした。


なんか「わび・さび」の達人、「奥の細道」の序文は自身の病弱を強調して「あわれ」を誘う「興行師」芭蕉の正体を暴露するようでもある。


この魚とは鮎の白魚だったようだが、その魚の目も行く春を惜しんで泪で潤んでいるというのだからなんとも度外れた感傷ぶりだ。
by aizak3 | 2013-08-22 19:37
終戦の日の千鳥ヶ渕「戦没者墓苑」の風景
8月15日、靖国に向う道路はは混んでるだろうなと思ったから、まず千鳥ヶ渕の氏名不詳者の千鳥ヶ渕「戦没者墓苑」に向かった。

この日は案の定、韓国のヤスクニに反対派の示威行動があったようで、右翼との激突を懼れる機動隊の警備が厳重で靖国通りは超交通渋滞していた。


しかし、「氏名不詳者」の「英霊」を祀る「千鳥ヶ渕戦没者墓苑」は静かだった。
六角堂(氏名不詳者の納骨堂)に奉納された花輪も少なく、昭和天皇皇の嗣子の天皇后両陛下のささやかな献花が眼を惹いた。


ここには、自民党のいう「憲法改正」以前に解決すべき「大問題」がひそんでいることが初めてがわかった日だった。



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昭和天皇の御製の歌の碑である。
昭和天皇について批判があるのは当然だがわたしは「好き」である。


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同上

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氏名不詳の「遺骨」が増えてきたので、当初の設計計画では間に合わず、地下の納骨スペースを増やした書いてある。(眼が悪いのでマニュアルレンズ(目測)のピントが狂った)


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ささやかな献花台。ここに遺族にも知らされぬ「氏名不詳」の東アジアで戦没した多数の「英霊」の遺骨が「収納」されているのである。
ここの御魂は当然、「ヤスクニ」には氏名不詳であるがために、永遠に祀られることはない。


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千鳥ヶ渕には墓苑とは無関係なボートハウスもすぐ近くにある。戦後〇十年の現在では当然だろう。

しかしここには、戦後68年間平和を守ってきた「英霊」の墓所とは認定されない「戦没者墓苑」があるのである。



「千鳥ヶ渕戦没者墓苑」の設立経緯とその法的性格については「MORE」に記載することにした。


この問題はいま声高に叫ばれている「憲法改正」の前に、まず過去の太平洋戦争による身元不詳の戦死者を国家として、どう処遇していくか、その「解決」を問われている問題だとおもわれる。


今後、海外に派兵された自衛隊員のうち、氏名と身元引き受け人のはっきりしている「戦死者」だけが、国家が関与しない「ヤスクニ」で「英霊」となり、戦闘に伴う「病没者」や「氏名不詳の戦死者」は自民党の好きなヤスクニにも祀られない現在の制度の中で、本当に「国」の「大義」ために身命を賭す事ができるだろうか。


本当の戦争ではどういうことが起こるのかがわからない「想定外」の安倍(麻生)さん!?



●●◎これ、面白い。ナチス閣僚が麻生発言に驚いて、対処法がわからず混乱するパロディ動画      ↓
http://martin310.exblog.jp/18410441/
      ↑
これは傑作! 総統閣下が麻生発言にお怒りのようです。(オモシロ翻訳付)




まじめな人は「MORE」もみてね↓

More戦没者墓苑をめぐる問題
by aizak3 | 2013-08-18 23:00
不可解な一画
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目黒通りにある世界でもめずらしい「寄生虫博物館」。ある博士が私費を投じて完成させたのだそうだ。中に入ると寄生虫がうじゃうじゃ。けっこう若い女性に人気みたい。
その横丁にあるのが風呂屋さん。
祠の尊者。説明板がないのでどなた様かわからない。

だからどうしたといわれても困る。ただ、あるのだ。まちのなかに。


連日の猛暑で熱中症気味。微熱頭痛。ネタ切れでも撮影意欲なし。
by aizak3 | 2013-07-11 12:23