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西新宿の青梅街道筋 9
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青梅街道北側のビルで一番撮ってみたい建物は「武富士」ビルである。
かつては高学歴者を採用した武富士もいまは過払い金返還で破産して、身売り先が管理しているらしい。

高利貸しの欲と高利を承知の借り手の欲が絡み合って出来上がった高層ビルなのだが、どう撮ればいいのか思いつかない。
だから今回も撮らなかった(撮れなかった)。

青梅街道の北側で撮ったのは路地ばかり。
この写真の右側の壁は青梅街道に建つ大型ビルの路地面。
しかし左側は「柏木」の雰囲気。
by aizak3 | 2014-01-30 15:28
西新宿の青梅街道筋 8
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成子天神の境内に宮司自らが超高層ビル2棟を建設して、天神社の改修を企てて、氏子総代と揉めて物議を醸していた成子天神。その後どのくらい建設が進んだかと思って撮ってみた。

青梅街道から続く参道は工事車両のため閉鎖。
お参りの人は細い脇道を通って、拝殿の脇から入る。


ところで超高層ビルの方はすでに完成していた。
このビルは参道から出入りするのではなく、なる子天神の敷地を取り囲む広い脇道の方から出入りするらしい。
by aizak3 | 2014-01-29 11:35
西新宿の青梅街道筋 7
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どういういきさつがあったのか知らないが不穏な空気が漂う。
間口が狭くて使いづらそうだが最低価格117百万円だと。
by aizak3 | 2014-01-27 19:04
西新宿の青梅街道筋 6
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新年会を終った後ではここまで歩くのがもう体の限界。
家を出てから車中を含めもう4時間ほとんど立ちっぱなしだ。

成子坂下の交差点で青梅街道の北側に渡って新宿駅に戻ることにした。
渡るとすぐ目に入ったのがこの路地。
柏木の内部はさんざん歩き回ったのに、青梅街道から柏木の路地を撮るという発想はついぞ浮ばなかった。

青梅街道の南側は再開発計画地なので、裏のブロックも全部高層ビル街だが、北側は街道に面したブロックだけで開発計画が纏められているので、計画範囲外の路地や裏通りはむかしの柏木の雰囲気を残すのである。
by aizak3 | 2014-01-26 11:35
西新宿の青梅街道筋 5
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この立派なお堂に収まっているのは「成子子育て地蔵尊」である。
場所は、成子坂下交差点際の日土地ビルの脇。

成子の地名は古くからあったと思われるが、町名としては柏木村の大字として、柏木成子町と柏木淀橋町が淀橋区定立直前まで存在していた。

町会名としては、「西新宿八丁目成子町会」(前身名「成子坂下町会」)があるが、青梅街道筋の高層ビル化の進展により、現在は休会中という。


隣のビルも「成子ハイツ」を名乗っているが、現在の住居表示は東京都新宿区西新宿6丁目で、ここは旧成子町ではないと思われる。
町会名としても「成子町会」は西新宿8丁目の一部である。


とすると、ここに「成子子育て地蔵尊」が鎮座するのはおかしいので、 青梅街道の北側の住友不動産タワービル(西新宿8丁目)の敷地内にあった‎ものを遷座させたものではないかと思われる。

この地蔵の由来については「淀橋」という橋の名に匹敵するような哀しく恐ろしい因縁話がある。
by aizak3 | 2014-01-24 16:42
西新宿の青梅街道筋 4
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東京医大病院前に至ると再開発のため、旧棟を壊しているのが目に入った。
西新宿の青梅街道というテーマをあらかじめ設定していなければ、見過ごしていたかも知れない。(現に前を幾度も通りながら一度も撮ったことはない)


東京医大病院は西新宿最大の巨大総合病院。


平成16年度実績では
入院患者数:年間330,388人(延数)/1日平均898.2人
外来患者数:年間720,096人(延数)/1日平均2,667人
救急患者数:年間29,667人(延数)


医大病院は昭和6年5月 - 東京医学専門学校付属淀橋診療所として開設されたのが始り。
病院本館(地上19階建)は1986年(昭和61年)の完成当時、日本で最高層の病院建築だったという。


それが平成23年11月「建築計画のお知らせ」が掲示され、地上8階・地下1階・高さ28.0mの建物ほか10棟を解体し、延べ建築面積1万6335.84平方メートル、地上16階建て、地下なし、高さ78.04メートル、となる予定なんだそうだ。用途は学校。


東京医大の本部は新宿六丁目1-1(四谷電話局の裏)の医大通りにあるが、こっちに本校を移転するのだろうか。


同校出身の山田風太郎の「戦中日記」には、戦争末期の同校の飯田への疎開話が出てくる。
風太郎(ぷーたろー)は東京大空襲で何度も火災のまちを逃げ惑いながら、医学書ならぬ仏文学書を毎晩読みふけっていた。そのくせ、終戦(敗戦降伏)の報を知ると竹槍で占領軍を一人でも討つべきと決意したそうな(戦争末期には軍医速成所として扱われていたらしい)
晩年の『人間臨終録』は実に面白い。


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by aizak3 | 2014-01-23 22:07
西新宿の青梅街道筋 3
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新宿アイランドビルから成子天神方面の眺めである。
青梅街道はほぼ真西に向って走っている。だから、午後を過ぎれば片側は暗くなる。


ところで、日本で多用されるアイランド(island)とは「(島のように孤立して)周囲とは異なる空間」「周囲から際立って自己主張している空間」「並じゃない空間」というニュアンスの言葉らしい。

これが700年英国の支配と闘っている「愛蘭土」(アイルランド、ケルト人の島)という意味のニュアンスで使われるのだったなら凄いのにね。
そんなわけないさ。人集めの呼称なんだから。
by aizak3 | 2014-01-22 12:40
西新宿の青梅街道筋 2
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これも新宿警察ブロックの一角。
隣のブロックは新宿アイランド。
by aizak3 | 2014-01-20 11:17
西新宿の青梅街道筋 1
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都心で新年会があったので、ついでに新宿で降りて青梅街道を取ってみようと思った。
田無の青梅街道筋を撮ったついででもある。

予定では開発著しい新宿から中野坂上までをぶらつくつもりだったが、脚がいうことを聞かないので大ガードから成子天神下までの往復に終った。

この写真は新宿警察の脇の路地。ケイサツの脇だの裏だのなんておよそ人通りがない。
高層ビル街の裏通りは昼間でも暗い。
by aizak3 | 2014-01-18 11:57
田無宿の面影を求めて 7 田無警察から橋場まで  このシリーズはこれでおしまい
田無警察(明治・大正期は甲州街道の府中宿にある府中警察の田無分署だった)を西側(橋場側)に進むと、しだいに街道筋でむかしは栄えた商店街の面影は薄れ、街道筋にある古くからある個人商店の感が強くなる。

橋場から先は(今回は撮らなかったが)幕末に「これより先七里人家なし」といわれた風景の面影をさらに感じるようになる。


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この明治・大正初期の地図による業種別商店数の一覧はむかしの田舎の宿場町の構成をよく表している。
旅館に料理屋に糸まゆ仲買人に馬力屋に車屋にうどん・まんじゅう屋は多く、そばやは一軒しかない。


●何度も通っているのに「田無宿」という視点で街道筋を撮ったのは初めてだ。まちの面白そうなところをスナップするというのと視点を定めて撮るというのは違う。平凡な写真でも自分にとっては大変勉強になった。


●「武蔵国」は古代国家の領域を指す概念で、「武蔵野台地」は海進と河川によって削り取られて段丘を形成した地質的概念だが、「武蔵野」というのは本来は、関東ローム層(武蔵野台地では富士山の噴火灰)に覆われた武蔵野台地の中でも水利条件に乏しく、耕作不適地のため一面の原野だった武蔵野の不毛地帯をさす概念だったところ、明治になって国木田独歩がそこに里山と明るい疎林の美」を発見すると、この文学的イメージが一般化して主として多摩川沿いの河川段丘をさす言葉となった(独歩以前の江戸時代では耕作不適の萱・ススキの原野を指し、、日比谷も浜松町も武蔵野であった)。したがって明治以降の武蔵野とはどこかという区域を限定することは「イメージの世界」の問題であり、はなはだ漠然として時代と共に流動するので確たる区域を限定することは出来ない。

●田無は果たして武蔵野なのかというはじめに感じた素朴な疑問は、耕作不適地という意味ではかつてそうであったし、独歩の世界(武蔵境から国分寺までを逍遥して発見した風景の美の世界)とは違うような気がしても、それは人さまざまであるという漠然としたイメージの中の世界の違いというほかないようだ。
by aizak3 | 2014-01-12 11:48