平成の大恐慌と新型ウイルス騒動の中で迎えたGWにこんな写真は向かないかなと思いつつ、
ほかにないからこれにした。ちょっとミステリアスな気分が伝えられれば成功。
晴海通りを銀座四丁目から歌舞伎座に向かうと昭和通りとの三原橋交差点に出る。
都心の交差点名にはいまはない橋の名が各所に残っている。
たとえば外堀どおりの数寄屋橋、鍛冶橋、呉服橋なども外堀を埋めて道路にしてしまったので橋はないが、橋の名が交差点名として残ったのだ。
さて、三原橋だが、三原橋は現存するのである。
ただし三原橋はこの交差点にあるのではなく、もうすこし銀座よりの三十間掘りに懸かっていた橋で、三十間掘りは埋め立てられたのでいまはないが、橋はそのまま現存するのである。
三十間掘りは埋立造成後売り払われてビル街になったので気が付きにくいが、晴海通りを歌舞伎座に向かって歩いていくと、突然ビルが途切れて「おや」と思う場所がある。
「傳八」や「三共カメラ」が入っている建物、反対側は「びっくり鮨」が入っている同型の建物、ここが橋なのだ。
橋の下は晴海通りを横断できる地下道になっていて、ここにシネパトス1,2,3というもとはB,C級ポルノ映画しかやらない映画館があり、ポルノショップもあり、銀座にふさわしくないというので、埋立地を買ったビルオーナーやテナントから苦情が出て、中央区からも抗議が出たようだが、いまだに映画館は健在である。ただし、この間行ってみたら、もうC級ポルノは止めたらしい。地下道も以前よりきれいで明るくなっていた。
三十間掘りについては追々紹介していくつもりだ。
明治~昭和の三原橋の写真はここを
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