穏やかな日常 Ⅳ
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隣接する住宅街は整然とした区画の立派な住宅街。
日々の平穏が充満しているように見える。



今日のニュースでは、世田谷で隣家の女性(62歳)とトラブルを起こして日本刀で殺害し、自殺した男性(86歳)はもと警視庁の警視だった。

穏やかな日常の中に、狂気(凶気)が充満している社会なのか?


隣組仲良し共同体の幻想は遠の昔に崩壊したから、そんなことに驚くのではない。
隣同士に、狂気と凶気が渾然一体となっていたことに、いまさらながら驚くのだ。
すべてがお隣も他人のこともか構わぬ「弧の社会」になっていたことにいまさらながら驚くのだ。



アメリカも英国も欧州も社会保障費の重圧に悩んでいる。
日本も「こども手当て」の創設を公約した民主党が、税と社会保障の一体改革を提起した。
弱者救済の社会保障(年金・医療・教育・養育)に悩んでいるのだ。


古代ローマで、奴隷ではないローマのプロレタリア(都市遊民)に「パンとサーカス」を提供できたのは、結局、帝国が領土拡張で繁栄できた余滴だったのだろう。


現代の先進国には、新興国の激しい追い上げで、もはやプロレタリア(政府の援助なしに自己資金では自活できない弱者)に配る余滴がない。
先進国では改革とは保守派の合言葉になってきた。つまり国家は自助努力できる者を護るだけで精一杯といいたいようだ。
つまり、古代ローマと比べても「国家」機能の一部放棄(放擲)をすることだ。


「国家」とは何なのか。なぜ強制的な徴税権力を有するのか?
こうなれば原点に返って、「国家」について、一括りに「国民」といわれている個人々々が考えなければならない時代が来たようだ。


個人が「国家」を離脱する不利益はどの位なのか?
個人が「国家」に帰属する利益はどの位なのか?


日本人が日本人であることに、いままでなんの不思議も感じなかったことに、そのうち、若者を中心に大きな疑問が提起される社会が来るのかも知れない。、


いよいよ、ほんものの「国家創設」の機会が来るのか、あるいは「無政府」「無国籍」の時代になるのか?
経団連のヨネクラさんはどう考えているのかきいてみたい。
by aizak3 | 2012-10-11 11:03
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