三菱1号館のレプリカが保存されたブリックスクエア
三菱1号館のレプリカが保存されたブリックスクエア_d0082324_14133096.jpg

三菱1号館のレプリカが保存されたブリックスクエア_d0082324_1413392.jpg

三菱1号館のレプリカが保存されたブリックスクエア_d0082324_1413553.jpg

三菱1号館のレプリカが保存されたブリックスクエア_d0082324_1414691.jpg

三菱1号館のレプリカが保存されたブリックスクエア_d0082324_14141669.jpg





ブリックとは世界で成長著しいあのBRICsのことだろう。
なんで丸の内の三菱村ともあろうものが、BRICSなのか。
と思ったら、BRICK(赤レンガ)のことだった。

つまり、旧1号館のレプリカを復元したからだろう。

パークビルディング地下1階から4階、低層棟(アネックス)、三菱一号館、一号館広場からなる商業ゾーンを総称して「丸の内ブリックスクエア」というらしい。


丸の内再開発の最大の難関は三菱旧1号館の保存問題だった。


三菱レンガ街全体は、やがて高度成長期を迎える1959年(昭和34年)からの三菱地所による「丸ノ内総合改造計画」により煉瓦街は急速に近代ビル化(レンガ街のコンクリト-ビル化)され、1970年代前半には建物の高さ(100尺・約30m)の揃った近代的なコンクリートビルが整然と立ち並ぶ街に生まれ変わっていた。

1号館は云うまでもなく三菱レンガ街(一丁倫敦)が形成される契機となる歴史的建造物であり、文部省所管の文化財に指定されてしまうと再開発は出来なくなる。

三菱地所は通知なしに取り壊しはしないとして、指定をまぬがれていたが、1968年(昭和43年)3月21日に解体工事を開始する旨、一方的に文化財保護委員会宛てに通告した後、突如その翌日の同年3月22日(金曜日)夜間に足場を架設し、土曜日の同年3月23日を選んで解体工事を強行した。解体した部材は当初は保管していたが、その後破棄。

跡地には三菱商事ビルが建設された(1971年竣工)。
この時点で、すでに三菱1号館(当時の名称は東1号館と改称されていた)は消滅していた。


しかし、その三菱商事ビルも丸の内全体の再開発を図る「丸の内再構築」の第2ステージ第1弾として、(第1ステージは「丸ビル」「新丸ビル」再構築として 年すでに完成)、2004年3月30日、「三菱商事ビル・古河ビル・丸ノ内八重洲ビル建替計画」とあわせて旧三菱一号館をレプリカ再建する計画が三菱地所から発表された。

2006年、同3棟の解体工事が開始され、このため、三菱商事も品川に移転した。

取り壊された3棟の跡地に「丸の内パークビルディング」が2007年(平成19年)2月5日に着工された後、同年10月に着工[2]、2009年(平成21年)4月30日、「丸ノ内八重洲ビルヂング」の外壁保存部分を持つ丸の内パークビルディングとともにレプリカ「三菱1号館」も竣工した。(三菱商事も品川から、このパークビルに移転した)


しかし三菱1号館の煉瓦は既に廃棄されていたので、再建されたレプリカの三菱1号館の現在のレンガは中国製とのことだ。



以下はwikipediaから借用
三菱1号館のレプリカが保存されたブリックスクエア_d0082324_15473719.jpg

by aizak3 | 2012-09-22 15:45
<< 三菱地所の丸の内改造構想はなか... 私道の大通り 丸の内仲通りの風景 >>