この写真は現在の住居表示では北新宿の旧柏木の断面報告。
北新宿は税務署通りと大久保通りに挟まれた地域。
まちのたたずまいは、まだ旧来の面影を残しているが、ここでも税務署通りが拡幅されて青梅街道に繋がったインパクトは大きい。
新税務署通りの両側が高層ビル化するのは当然だが、その奥も高層化しつつある。
現在の地域道路は細く曲がりくねって不規則だが、どのように変貌していくのだろうか。
歩いたところを点検するために地図を見ていたら、大久保通りを超えたさらに北側に淀橋小学校と中央卸売市場淀橋市場を発見。
えっと思ったが、考えてみたら、新宿区が誕生したのは戦後の昭和22年。それ以前はこの一帯は淀橋区。
東京市35区体制を引き継いだ東京都35区体制の下では、現在の新宿区内の地域は「淀橋区」「牛込区」「四谷区」に分かれていた。
大雑把にいえばJR以西は淀橋区(新宿駅は淀橋区、内藤新宿は四谷区だった)だったから、現在の北新宿に淀橋を冠称する施設があっても不思議はないのだが、税務署通りより南に「柏木公園」があり、税務署通りのちょっと北側にも旧地名を冠称する「新宿区柏木出張所」や「柏木小学校」があるのに、はるかに北側の大久保通りを超えたところに、「淀橋市場」や「淀橋小学校」があるのはやはり不思議な感じを抱かせる。
地名は変えられても、いったん付いた施設名(橋、交差点、学校、公園、郵便局、警察などの名称)は変わらないのだ。
(余談だが、戦後の区部35区体制から23区への再編成の過程で、旧東京市域の15区の一つだった「牛込区」は、東京市域拡張後の新東京市域35区体制ではじめて「区」になった「淀橋区」と一緒にされて「新宿区」となるのをかなり嫌がったらしい。小石川、本郷と一緒に文京区に編入して呉れとか、それがだめなら「四谷区」と一緒にして「牛込四谷区」にして呉れとか駄々を捏ねたらしい。
一方、「淀橋区」の方も、旧市域の「牛込区」がそんなに嫌がるなら、いっそ新市域同士で中野区と合併したいとか、渋谷区と合併したいとか言ってゴタゴタしたらしい。
地域名変更・区域変更というのは単に行政管轄を変えるということではない。
住民にとっては大袈裟に言えば国境線を変えて所属の国家を変えるということと同じらしい。
からから天気が続いていた東京も今日は一日中みぞれが降り続くらしい。
大雪の予報が外れて東京は適度なお湿りになる模様。
調べたついでに、「more」に東京市35区時代の淀橋区の範囲を示す地図と、新宿区編成の経緯を示す簡便な表を転載した。