この路地も泰明小学校のすぐ傍で撮った路地。
銀座という地名は明治初期に起立され、当初は銀座1丁目から4丁目までであったが、戦後三十間掘りが埋め立てられると東側は昭和通(旧築地川の一部)まで陸続きとなったので、ここも銀座に編入された。銀座4丁目交差点は、戦後しばらくは尾張町交差点と呼ばれていたように、南側は銀座ではなかったが、現在は旧汐留め川まで銀座5丁目~8丁目に町名変更された。また西側はかつては西銀座と呼ばれ、銀座ではなかったが、ここも銀座に統一された。
このように現在の銀座の町名を冠する地域は、西は旧外堀(埋立て後東京高速道路株式会社が管理する銀座inなどの建物)、南は汐留川、東は旧築地川(現首都高)、北は旧日本橋川(現、東京高速道路KK)という堀と川に囲まれた地域となった。
したがって、現在の銀座は多数の旧町名の統一名であるから、銀座といっても一歩裏通りに入ると、中央通のビル群だけから受けるイメージとはいささか異なり、銀座といってもいささか広うござんすということになるのである。
moreに外堀、汐留め川、築地川、京橋川に囲まれた旧地名の地図を掲載した。
お姉さんの歩いている通りの風景
旧町名地図